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1987 - ローマ世界陸上

2015-08-26 20:17:49 | メディア・芸能
陸上競技の世界選手権は、1991年の第3回東京大会まで4年に1度の開催だった。オリンピックが1976年のモントリオール大会から84年のロサンジェルス大会までボイコットに揺れたため、真の世界一を決める大会として注目を集め、また選手たちもそれに恥じない活躍をして、世界陸上は新興ながらグレードの高い大会として定着したのである。

しかしこの当時、わが国の陸上は、マラソン・駅伝のみ異常なほどの人気を集め、高視聴率を獲得するテレビの有力コンテンツであり、一般種目とは扱いに雲泥の差があった。
また男子マラソンは、1987年の記録・実力ランキングとも1位・中山竹通(たけゆき)、2位・谷口浩美と日本人が世界トップを占め、他にも瀬古利彦、新宅雅也、児玉泰介など強豪が揃ったため、翌年に控えたオリンピックの代表選考をにらみ、強豪選手や選手を抱える実業団チームは世界陸上など眼中にないありさまであった。次回第3回は日本開催が決まっていたこともあり、国際陸連から日本陸連に、マラソンの一線級を派遣するよう要請があったものの、陸連から打診を受けた瀬古利彦はもちろんこれを断った。

そして、ローマ大会の最終日9月6日、男子マラソンを制したのは、ケニア出身で、ヱスビー食品に所属し、瀬古や新宅の同僚でもある、ダグラス・ワキウリであった。
ワキウリは過去2回の日本国内のマラソンでは平凡な結果しか残せなかったが、世界陸上の代表に選ばれたことで一挙に世界の実力者となり、翌年のオリンピックでも2位、ロンドン・マラソンや英連邦大会も制した。




↑なぜか他のケニア代表選手と異なるユニフォーム。優勝後のインタビューで、アフリカ勢と日本の橋渡し役を務める小林という人物が「やったなァ、お前!」と語りかけ、事情を知らない視聴者をギョッとさせた


現在、東京新聞の夕刊に、有森裕子・高橋尚子の両選手を指導したことで知られる小出義雄氏が自叙伝エッセイを連載中で、しばしば往年の名選手や指導者の事績が言及される。
ちょうど、北京での第15回世界陸上を控え、特に印象的だったのは、小出氏が順天堂大に入る以前、短期間の実業団選手時代、青東駅伝の指導者として彼の前に現れた、後に瀬古やワキウリを指導することになる中村清氏(1913~1985)の存在だ。

眼光鋭く、選手の一人一人を見据え、練習後の訓話では、親鸞の言葉や旧約・新約聖書の引用など長時間に及んだのだとか。他のエピソードでは、自分の顔を殴ってみせたり、土を食べてみせるなども。
馬鹿げている。
英国の女子マラソンのマーラ・ヤマウチ選手は、日本人の夫を持つ、れっきとした外交官だが、果たして彼女の教養は、走力の向上に寄与するだろうか。
中村清の訓話は、無意味な精神論で、科学的な根拠はゼロ。効力がありそうなのは、「中距離のスピードを持つ選手にマラソンを走らせれば世界で戦える」という一点張りで、なるほど、そうした選手を大学や実業団が青田買いして、生活を安定させれば、他の国にはマラソン・駅伝で飯を食えるようなシステムがなかったので、さまざまなマラソン・レースでは「相対的に」浮上するだろう。

ケニアにはワキウリくらいの素質の選手はごろごろいると思うが、彼は来日して実業団に所属し、そのシステムを利用できたので、やや記録が停滞した80年代後半~90年代前半のマラソン界で世界の舞台に躍り出ることになった。しかし各地の賞金マラソンや欧米の代理人を通じ、ケニアやエチオピアをはじめ各国の若い選手が資金を稼げる仕組みが整うと、そうした日本のシステムの優位性が崩れた。女子ではいくらか後まで優位性が残り、オリンピックで2度優勝するに至ったが、もはや失われつつある

国内に旺盛な市場があり、人材供給されると、かえって世界から取り残される結果を招きがち―





冒頭の、特集号の表紙画像が示すように、このローマ大会は9秒83の世界新記録で男子100mを制した「ベン・ジョンソンの大会」となり、そして翌年のソウル五輪で彼のドーピング違反が発覚し、メダル剥奪、さかのぼって記録を抹消されることが決まると、一転、世界陸上の黒歴史となった(右端がベン・ジョンソン)




カール・ルイスが4冠獲得したロス五輪でベン・ジョンソンは100m3位。ジャマイカ生まれでカナダへ渡り、1986年急速に記録を伸ばして、ルイスをおびやかす存在となり、遂にビッグ・ゲームでルイスを超えたが―




さかのぼって、2位ルイスの9秒93が、この当時の世界タイ記録として認められることに。ローマ大会もう一つの世界記録は女子走高跳びのコスタディノヴァ(ブルガリア)の2m09。現在まで破られていない




22歳のフリスト・マルコフ(ブルガリア)が世界記録にあと5cmと迫る17m92で男子三段跳びを制す。日本の山下訓史は決勝進出したものの記録なし




44秒台で実力伯仲する男子400mは、前年の欧州選手権覇者のトーマス・シェーンレーベ(東ドイツ・右から2人目)が44秒33で制す。のち東西ドイツ統一後、93年のシュツットガルト大会1600mリレーのアンカーとして銅メダルをもぎ取った姿が感動的だった




13秒21で男子110mHを制した米国のグレッグ・フォスター。世界陸上を3連覇したがオリンピックでは不運だった




地元イタリアのフランチェスコ・パネッタが世界歴代4位の8分08秒57で3000m障害を快勝




2m42の世界記録を打ち立てたばかりのパトリック・ショーベリ(スウェーデン)が2m38までを全て1回でクリアする安定した跳躍で男子走高跳びを制す




世界陸上、日本人初の入賞者は、2日目の男子やり投げ1投目に80m24を記録し6位となった溝口和洋。89年に現在まで残る日本記録87m60を樹立。さあ、今夜の新井涼平選手に期待― (写真はすべて陸上競技マガジン1987年10月号より)

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