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中央集権と出版社①

2023-02-05 16:09:52 | メディア・芸能
三省堂の創業家の亀井家は、江戸時代は幕臣として現在の明治大学の場所を屋敷としていた。大久保彦左衛門の屋敷の前である。亀井家は幕府崩壊後は一時江戸を離れたが、明治になって戻り、1881(明治14)年に古書店を開くとともに出版も行う。85年には現在のすずらん通りで冨山房が創業、創業時と現在地が変わらない稀有の例。有斐閣も現在地に近い場所で77年に古書店を開業している。

1872(明治5)年に国民皆学をめざして学制が公布され、大学・中学・小学の3段階の学校制度が設けられた。しかし小学校の建設は地元住民の負担とされ、授業料も月額50銭(当時コメ10キロ36銭)と高く普及が遅れ、寺子屋を改造する例が多かった。一方8大学区の大学建設は国の負担で進められた。官立師範学校が各府県に設けられ人材育成がなされたことが、教育立国の基礎となる。77年に開校した東京開成学校(場所は湯島、後の東京帝国大学)が嚆矢となり、学生の街としての神保町の歩みがスタート。75(明治8)年から89年までの14年間、神田周辺は大学創設ラッシュであった。75年商法講習所(神田一ツ橋・後の一橋大学)、80年東京法学所(靖国神社付近・後の法政大学)、81年法律学校(駿河台・明治大学)、85年英吉利法律学校(神田錦町・中央大学)、89年日本法律学校(飯田橋・日本大学)が誕生している。当時はまだ近代出版の時代になっていないので本を必要とする学生は神田古書街に集まったのであろう。

1887(明治20)年、博文館の創業によって日本の出版界は一気に開眼した。明治を驀進した出版社は春陽堂と博文館である。文芸出版の春陽堂、総合出版社の博文館が業界をリード。明治末期から大正にかけ雑誌ジャーナリズムに火が付く。春陽堂は「新小説」、博文館は旗艦誌「太陽」「少年世界」他8誌を発刊している。 - 日本の古本屋「自著を語る」 能勢仁: 神田神保町は明治から賑わっていた(2023年1月)



幕末~明治創業の主な出版社
1857(安政4)年 吉川弘文館
1869(明治2)年 丸善
1877(明治10)年 有斐閣
1878(明治11)年 春陽堂書店
1881(明治14)年 三省堂
1885(明治18)年 冨山房
1886(明治19)年 河出書房
1886(明治19)年 中央公論社
1887(明治20)年 博文館
1895(明治28)年 東洋経済新報社
1896(明治29)年 新潮社
1897(明治30)年 実業之日本社
1904(明治37)年 美術出版社
1905(明治38)年 国書刊行会
1909(明治42)年 講談社
1912(明治45)年 福音館書店

大正創業の主な出版社
1913(大正2)年 ダイヤモンド社
1913(大正2)年 岩波書店
1914(大正3)年 平凡社
1915(大正4)年 白水社
1916(大正5)年 主婦の友社
1919(大正8)年 改造社
1922(大正11)年 小学館
1923(大正12)年 文藝春秋社
1925(大正14)年 創元社
1926(大正15)年 集英社

昭和創業の主な出版社
1931(昭和6)年 旺文社
1940(昭和15)年 筑摩書房
1945(昭和20)年 少年画報社
1945(昭和20)年 光文社
1945(昭和20)年 早川書房
1945(昭和20)年 凡人社(⇒平凡出版⇒マガジンハウス)
1945(昭和20)年 角川書店(現KADOKAWA)
1945(昭和20)年 みすず書房
1945(昭和20)年 三一書房
1946(昭和21)年 主婦と生活社
1946(昭和21)年 学研
1946(昭和21)年 暮しの手帖社
1946(昭和21)年 ベースボールマガジン社
1946(昭和21)年 PHP研究所
1947(昭和22)年 ポプラ社
1948(昭和23)年 双葉社
1948(昭和23)年 秋田書店
1954(昭和29)年 徳間書店
1955(昭和30)年 青春出版社
1955(昭和30)年 福武書店(現ベネッセコーポレーション)
1959(昭和34)年 朝日ソノラマ
1960(昭和35)年 晶文社
1960(昭和35)年 潮出版社
1967(昭和42)年 KKベストセラーズ
1968(昭和43)年 草思社
1971(昭和46)年 宝島社
1972(昭和47)年 竹書房
1973(昭和48)年 白泉社
1978(昭和53)年 明石書店



講談社は大衆娯楽誌『キング』が昭和初期に100万部突破するなど雑誌を武器に最大手にのし上がり、軍国主義を鼓吹する評論家・徳富蘇峰から「私設文部省」と批判されるほど若い世代に大きな影響力を持っていたが、大正末~昭和初期の円本ブーム=改造社・新潮社・平凡社などが単巻1円の予約配本で文学全集など全集ものを乱立させた=にはやや乗り遅れた。しかし戦後の高度経済成長が爛熟する1960~70年代には百科事典や各種全集が再び花盛りとなり、67年には1巻にクラシックのLPレコード2枚を収めた音楽全集で河出書房と講談社が老舗対決。河出の『世界音楽全集(全24巻)』と講談社の『ステレオ世界音楽全集(全18巻)』である。両社とも化粧箱入りで、業界的には河出の成功という評価だった。ところが、それまでも倒産して河出書房新社となるなど放漫経営の河出は世界文学全集だけでも3種類出す乱脈が祟り資金繰りが悪化、またしても会社更生法を申請、この緊急事態にライバルの講談社は大手取次と共に資金を融資した。音楽全集ブームには平凡社・筑摩書房も参加したらしく、私はやや遅れて73年に小学館が企画した世界名曲全集(全20巻・各LP1枚)によって第九やくるみ割り人形と出会うことに。



チェンソーマンはMAPPAの単独出資だから普通に配信の買い切りも入るから
この話とは少し違うしまだマシなほう(単独なので自社でしなければならない宣伝料には目を瞑る)。他の会社は出資すらさせてもらえないので、黒字になりやすい部分の配信も入らず、いまだに円盤くらいでしか稼げない。

でも大して円盤売れてないなろうが続編無限に作られつづけてるよね。

製作委員会方式で、配信の権利を持っている出版社とかは、配信だけじゃなく原作も売れるので得しかない。どんなクソアニメでも国内海外各所で配信の買い切りだけでクロ。どんなクソアニメでも原作は売れるのでクロと得しかない。
アニメ制作会社は配信原作の恩恵なく、クソアニメで円盤売れず赤字でも、製作委員会でパトロンやスポンサーの出版社がケツモチして、次作も確約したり出資してくれるので、製作委員会の奴隷である限り自転車操業で生き残ることはできる。
これがクソアニメも含めアニメ本数が毎クール過去最高数になるカラクリ。

配信はそんなに美味しくないって前から言われてたよね。中国向けは日本と同時じゃないと安く買いたたかれる。

つーか東映の決算でも海外配信が売上の66%占めてるから、海外向けに強いコンテンツがあるかでも差が出るが、げそが昨今の情勢理解してないだけ。 - 5ch嫌儲「悲報! げそいくお『アニメを配信だけで黒字にするのは無理。円盤売らないとダメ』」2023年2月
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