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女性型消費/モラトリアム

2022-12-21 20:16:44 | メディア・芸能
男「貧しさに負けた」
女「いいえ世間に負けた」
この町も追われた。いっそきれいに死のうか。男はお金や社会的地位をはじめとする大小・高低の競争的な価値観に、女は家族の世話や社交といった対人関係に身の安全を託す。前者が資本主義・国家主義により父権的なタテの支配を形成し、後者が母性的な「世間によるヨコの監視」でこれを下支えする。

パーリア「アイデンティティは闘争の産物。女は本来的に安定しているから男ほどはアイデンティティを必要としない。政治であれスポーツ競技であれすべての〝ジャンル〟は男が発明した」。



この漫画にも「本当に俺の子なのか」と、交際相手の妊娠中絶費用を出し渋る男が登場。女が「安定している」というのも月経・妊娠・分娩・授乳などを通じて地球・自然の一部であることが歴然としているから。心の安定ということで私が特に想起するのがかつて熱心に見ていた番組ロンドンハーツ内の侮蔑的な企画「よりによってなぜこの人のファン?」の、misonoのファン同士で結婚したという若い男女。「ウチの歌詞とブログ見て!!」がロンハー内の決め台詞になっているような、自分自分自分の情緒不安定が売りになっているmisono自身よりよほど穏健でどっしり安定したカップルのように見えた。



1960年代から70年代初頭にかけて、高度経済成長が頂点に達し、豊かな社会の中で青年期は延長し、若者文化がその花を咲かせた。ヒッピー、長髪、ジーンズ、全共闘、ニュー・レフト運動といった、さまざまの形での社会に対する青年の自己主張が公然化した。
この状況の中で、成人(おとな)世代がこの若者文化の影響を受け、逆に青年心理に適応するというプロセスがおこった。そしてこのプロセスを通して一般社会心理そのものの革新的な変化=青年心理化をひきおこした。しかも、歴史的にみると、この青年心理そのものにも現代に特有な質的変化がみられる。このようにして「モラトリアム人間」心理は、世代を超え、現代社会に暮すすべての人々の深層心理に共有される「社会的性格」となった。
(中略)現代の女性は、愛情の対象、夫、家庭、仕事、職場…といった、自分以外の何かに本当の意味で深くかかわることに充足と安定を得、それらとのかかわりやその世界への帰属意識が、生き甲斐になるような社会条件に、あまりにも恵まれていない。むしろ戦前、かつての「家」がーつの社会を意味するような時代には、女性が妻になり、母になることは、それなりの社会的地位を意味していた。(中略)ところが現代は、たとえ結婚しても、二人きりの核家族である。(中略)では共働きの場合はどうか。マスコミのヒロインになるような、少数の特別な才能に恵まれた女性は別である。そしてまた、上級公務員、医師、芸術家、教師といった一定の専門職として社会的に認められた職業の持ち主はともかく、いわゆるOL的な仕事の場合、職場からみると大多数の女性職員は、企業の中のお客さま的存在にすぎないことが多い。依然として25歳定年説的な考え方は、潜在的につづいている。またOLの側も、企業に対して強い帰属意識もなく、結婚するまでの一時的かかわりあいのつもりの人が多い。(中略)「どうせ大学を出ても女子はOL的な仕事しかさせてもらえない。それならよい相手をみつけて身をかためる方が勝ち」。 ─(小此木啓吾/モラトリアム人間の時代/中公文庫1981)



モラトリアム人間=猶予状態にある人間。YAWARA!!の主人公・猪熊柔は短大を出て旅行会社に就職し、音信不通の父親を捜しながらいずれは平凡なお嫁さんになりたいと考えている。しかし彼女の心を射止めたスポーツ紙記者の松田は柔が柔道家として大成することを望んでいるため、長い物語の最後になっても結婚しないままだ。

この主人公は男目線からかわいい保守的な女として造形されているのだろう。この点、内田春菊の漫画はより男のいやらしさ、色恋が絡むと愚かになる女の弱さが辛辣に描かれ、異性とまともに付き合ったことのない私など気後れしてしまうのだが、色恋の描かれ方としてはウシジマくんの吉永美代子がパチンコに「何も考えないでいられる」ことを求めながら負けが込んで売春し、男女間に起る不安・葛藤・興奮の方により囚われ、娘を巻き込んで悪意の連鎖を招いてゆく、こちらは楽しく読むことができる。


安倍暗殺犯の伯父が、暗殺犯の母親について「洗脳を解くのはかえってかわいそう。70の老人から生きるよすがを奪うべきでない」と発言したと聞く。地方の名家・知識階級に嫁いだ筈だったのに…。女性型消費とは、男社会に対し従属的な立場を強いられる女が、それを埋め合わせるため旅行・観劇・買い物・お稽古事といった自己愛的・見せびらかし的な消費に走ることを指し、たとえばサッカークラブの練習を見守るママ友たち、あるいは秋葉原事件の犯人の母親が過度の教育ママだったことなどもその変形といえるだろう。

ぼくちんテレビ局の撮影クルーなんだぞ(なだぎ)。俺はラップ王だから黒人でもトランプ大統領が真っ先に面会してくれるぞ。これらは世間的な「立場」を言っている。思想信条とは関係ない。都市化・情報化が進むと個々の人間はよそよそしく分断された時間商品・汎用品になってしまう。トランプがオワコン化するより早くカニエ・ウエストは誰からも相手にされなくなってしまった。自らメディア上に出しゃばり、監視を求めてきたから面目の施しようがない。

モラトリアム人間というテーゼを提唱した小此木氏は、ノン・モラトリアム=猶予を拒む人間の例として、立身出世主義者、そして「ロッキードの主役」を挙げている。70年代に書かれたので、現状を当てはめるとすればメディア・広告・囲い込み・相互監視に携わるすべてが、人を宙ぶらりんのモラトリアム状態に置いておくことを望み、既に制御を離れシステムとして一人歩きしている。
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