マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

1988 — ソウル五輪

2023-07-27 16:35:30 | メディア・芸能
韓国ソウルと日本の名古屋、2都市しか立候補しなかった1988年夏季オリンピック、開催地決定するIOC総会が行われた1981年、韓国の経済規模は日本の6%ほどに過ぎず、事前は名古屋有利とされていたが投票結果は52対27でソウル。冷戦の真っ只中であり政治上の理由から東側諸国のほとんどが名古屋に投票せざるをえなかったのに対し、ソウルは西側先進国をはじめ広く票を集めしたたかなロビー活動を実らせた。

80年代ニューヨークやロッテルダムなど大都市の賞金マラソンが一般化し、賞金を出せない建前の福岡マラソンや東京マラソンが東ドイツやエチオピアといった共産圏の選手に頼らざるをえなかった事情を想起させる。この結果を受け北朝鮮との共同開催も模索されたが南北の会談は物別れに終り北朝鮮は不参加。一方84年ロス五輪をボイコットしたソ連で85年にミハイル・ゴルバチョフが書記長就任、雪解けの機運が高まりソ連や東ドイツが参加し、不参加は北朝鮮・キューバ・エチオピアなど7ヵ国にとどまり72年ミュンヘン大会以来16年ぶりに大規模ボイコットに悩まされない大会に。


タカアンドトシのトシがこのレースのカール・ルイスの真似をしますよね。歴史的なレース、陸上男子100m。前年のローマ世界陸上で9秒83を記録しルイスを退けて王者となったカナダのベン・ジョンソン、さらに上回る9秒79の世界新記録で再びルイスを退け、「オリンピックの金メダルを誰も私から奪うことはできない」と勝利宣言するも一転、ドーピング検査で筋肉増強剤スタノロゾールの陽性反応。金メダルと世界記録の剥奪。帰国。

ところが実は決勝を走った8人のうち6人までが検査で陽性反応を示したか、あるいはパフォーマンス向上薬の使用や供給に関与していたのだという。繰り上げ銀メダルのリンフォード・クリスティ(英)については当時から疑惑が囁かれていたが、同金メダルのルイスについても代表選考会のドーピング検査で覚醒剤が検出され、出場させるべきか米国陸連内部で揉めたのだという。2013年に出版されたThe Dirtiest Race in Historyという書籍、ソウル五輪決勝に至るまでのルイスとジョンソンのライバル関係、「傲慢なナルシスト」ルイスと「純朴なジャマイカ移民」ジョンソンという人物像を克明に描いて話題になったそうだ。
 


テニスがパリ大会以来64年ぶりに復活。女子はシュテフィ・グラフ(西ドイツ)がこの年の4大大会制覇に加え金メダル。



「こんなに歓喜するブブカは初めて」と書いてある。1984年から94年まで棒高跳びの屋外世界記録を17回も更新したセルゲイ・ブブカ(ソ連⇒ウクライナ)であったが五輪金メダルはこの時だけ、それもかなり苦戦を強いられてのもの。



「霊長類最強」の本家、レスリング・グレコローマン130kg級をソウルからアトランタまで3連覇したアレクサンドル・カレリン(ソ連⇒ロシア、ブルガリアのゲロフスキーとの決勝)。ソ連は参加国中最多の55個の金メダルを獲得したが、4年後のバルセロナ五輪までに激動、連邦崩壊の道へ。



ハイテンション芸人? 議員? 小柄な松野明美(当時20)が女子10000m予選に出場、それまでの日本記録を大幅に更新するも予選落ち。女子10000を予選と決勝2回走らせるのも疑問に思うがこの大会、男子1500と5000は予選・準決勝・決勝の3回、男子800は1次・2次予選・準決・決勝と4回も走らなければならない過酷な日程が組まれ、ロス五輪で5000m優勝したモロッコの英雄サイド・アウイタは中距離2冠を狙ったものの800m3位に終り1500m予選で力尽き準決を棄権。



ベン・ジョンソンのスキャンダルを打ち消すようにクローズ・アップされたのが、女子100mを10秒54(追い風参考)、200mを21秒34と驚異的な記録で制した米国のフローレンス・グリフィス=ジョイナーである。フロージョーの愛称で知られる彼女は、前年までの記録は100m10秒96、200m21秒96に過ぎず、ロス五輪200mでは2位となったものの競技力よりは奇抜なコスチュームと伸ばした爪で話題に上る存在であった。

既にソウル五輪から35年の月日が流れたが、女性スプリンターはジョイナーの世界記録(100mは88年オリンピック代表選考会で記録した10秒49)を破れないままだ。ただし100m歴代2位のエレイン・トンプソン=ヘラ(ジャマイカ)が0.05秒差、200m歴代2位のシェリカ・ジャクソン(ジャマイカ)が0.11秒差まで迫っており、更新の可能性が視界に入ってきてはいる。同様に1980年代、短距離から長距離までソ連と東ドイツの選手によって作られた世界記録が高い壁となって長く残った例が多く、個々の選手は摘発を免れているとしてもそれらのほとんどが組織的ドーピングに助けられたことは明らかだ。

ジョイナーは国際陸連が抜き打ちドーピング検査を導入する前年1989年に引退し、98年に睡眠中てんかんの発作で死去(38歳)。現役中ドーピング検査に引っかかったことはない。しかし陸上・自転車・重量挙げ・米メジャーリーグなど薬物不正が蔓延した結果として、クリーンな選手を含めすべてのアスリートが疑惑の雲で覆われてしまう。ジャニーズ事務所のタレントは喜多川老人への枕行為を経ないとデビューできない。疑惑も糞も全員ということだ。テレビ・広告・大学スポーツ・巨額の契約金や生活支援。私はジョイナーは禁止薬物を使っていたと確信しているが、ジョイナー個人よりもアメリカのスポーツ界が汚れきっているのだ。2020東京五輪では一切テレビを見なかったので比較ということではないけれども1984ロスと1988ソウルはその前哨のようにいろいろ見苦しい点があったと思う。
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