無意識日記
宇多田光 word:i_
 



しかし、冷静に考えてみると皇帝の新しい服は…クマチャンはただのぬいぐるみだ。皆が成りたがるHikkiは見た目がかわいく唄が上手で創造的な25歳の女性だから、やる事は沢山ある。ヒトの成長の契機となるのだ。一方、クマチャンは綿だ。なるには着るだけだ。ソコに何の成長の契機があろうか。光には、目指すべき目標が外にあらず常に目指される存在。それでも「何かになりたい/WannaBeSomethingSomebody」という根元的欲求は、人間だもの、ある。ヌイグルミはその欲求のみを抽出するスロットなのだ。なるべき何かがどこにも存在しなくても、何かになろうとする意志自体を純粋に光の心の奥底から取り戻し具現化する存在。だからキグルミは希望(と確信)の復権たりえる。「こんな人になりたい」という気持がまたあの時の様に輝き始める。そして、ここからが大切だ、光がなろうとしているのはそのスロット自体なのである。「私は"何かになりたい"気持ちを(皆から)引き出せる何かになりたい」、のだ。あぁややこしい。でも、それが教えてくれる事は、光がいつでも今までもずっと、そしてこれからも、心の優しい子であること、だ。Sだけどね(笑)。


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があって大体ツアー毎の名がついててソレゾレに特徴がある。例えばヒカ5世代は無類のオフ好き(汗)。一方UU06世代はただ光が好きなだけに止まらず歌もカッコも仕草迄も「Hikkiになりたい!」という意欲の強い人が目立つ。その筆頭がUU06埼玉で本人と会い本日CDデビュー迄したミラクルひかるサンな訳だが、ココ最近その流れが本人に逆流しているとはいえまいか。光はクマチャン好きが昂じた挙句"クマチャンになりたい!"と言い出しキグルミ迄着た。今月もクマミミ付けて絶好調。この愛情表現方法の選択にファンの「Hikkiになりたい!」という熱気の影響を感じ取るのは、強ち的外れでもないと思うのだが。


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入る旨記述があるが、i_はHステを聴いてぼくはくまが入る事を確信した。前エントリからの続きだが、今迄で光が自分の色を消した、或いは自然に色が消えた曲は何だったかというと、そう、ぼくはくまなのだ。この歌は曲調もだが何より歌声にヒカルぽさがなかった(ラス前の"ママ"は特別かな)。Hステがある事によってくまはアルバムの中で孤独にならずに済む。実際、HステもNHKみんなのうたに合いそうだし。なので5thアルバムは、アレンジをひとに任せた曲、商品名連呼の曲、100%自分好みでもない主題歌、そして童謡と光個人のだけでない"みんなのうた"を収録した作品になりそうである。


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果たしてこの曲を光以外の声で歌われたら宇多田ヒカルの曲と気付けるだろうか。僕は多分ムリだ。バックのサウンドが日曜の朝と同じエレクトリックマリンバ(と勝手に命名w)の音なのでソコで気付くかもしれないが歌メロについては参照できる曲が(今の所)思い当たらない。其処彼処に宇多田節が見られたStayGoldとは対照的である。では敢えて自分の色を消した曲を光が書いてきたかというとそうとも思えない。寧ろ"自然に消えた"という表現が近いか。勿論実際に唄ってるのがヒカルなので皆光の曲だとわかる訳だが、こういう時こそ曲単位で判断する浮動層の所感もきいてみたいかな。


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でデビューしリズムの申し子と迄いわれた光がこんな素直な8分音符("♪")を並べただけのメロを歌っているHステ。普通のポップスでは珍しくもないが光的には新しい。"ハ・ァ・ト・ス・テ・イ・ション"という風に1ッの♪に1ッの音をあてている為"気がした"なんてやたら字余りに聞こえる位。でもコチラが普段の光の詞の載せ方だったりする(バン・グミ~とか)。つまり詞に(1音符に1音節、とかの)英語的感覚が皆無なのだ。恐らくこんな曲はUtaDAではムリ。ImissyouとかILoveyouとか、まるで英語のニガテな人みたいに聞こえるし。ただ、"きこえて"を"キコゥエテ"と発音するのは何だか英語っぽいかもね。


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聴き続けてるのはいつ以来だろうと考えると、そうだ、SmashingPumpkinsのStandInsideYourLove以来である。メッセで光は気が付いたらこの曲をリピートしてる旨発言があった。同曲もHステも、曲の展開はちゃんとあるもののやはりメロディそのものに自分が染まってしまう所が似ている。何度も繰り返し聴く事で自分の中に何かが醸成されてゆく感覚。光の言いたかった事とは違うかもしれないが「曲全体がリフ」となって何度もリフレインされる事が自然な姿となっている。こういうタイプの曲を光は書けないと言ってたけど、ギターの響きではないにせよちゃんと書けてるじゃないか。


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今日1日朝のラジオで捕獲して以来ずっとこの曲以外聴かずに過ごした。多分、i_の一生で「1日に最も何度も繰り返し聴いた曲」だ。この曲には度肝を抜く鮮烈な旋律もなければ強烈に泣ける絶唱がある訳でもない。詞も普通ならテンポもリズムも普通、音域も曲の長さも音の厚さも何もかも中庸だ。でも、気が付いたらこの曲を聴いている。何度聴いても変わらない。あざとさも計算も策略もないし、狙いや目的・意図すらないかもしれない。ただそこにリズムとメロディ、ハーモニーがあって歌が詞がある。そして私はそれを聴く。ただそれだけ。何だか泣けてきた。音楽がそこにあるんだ。


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素直な曲、。あの宇多田ヒカルがここまで"抑えた"歌い方をしているのも驚きだ(ろう)し、昔ながらのシンガー・ソングライター気質の曲調も今迄のレパートリになかったものだし、何より詞に仕掛や構造が皆無。あらゆる意味で凝っていない。誰もが「春の別れの歌」といわれれば納得する(だろう)自然な音。力みや色気がなさ過ぎてこれだけキャッチーなのに商業性を感じさせない。ただ心をありのまま綴っただけの詞。キャリアともプロ意識とも無縁、騒ぎ立てる斬新さや戸惑いもない。トップアーティストとしてではない、1人の普通の女の子としての宇多田光が唱う歌。切なさの向こう側にある曲だ。


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HeartStationはいつ聴けるかわかりませんが、耳に入り次第レビューしていきますので、明日以降ネタバレが気になる方、本blogへのアクセスはご注意くださいっ! i_


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ソレをいうなら毎日1日々々が一生に1度なんだけど、そういった事柄を捉え直す機会として誕生日は有用だ。歳をとってくると誕生日が嬉しくないというひとも居るけれど、誕生日はその名の通り誕生記念日であって加齢記念日とは言わない。だから故人であっても生誕何百周年といって祝ったりする。もうそのひとの齢は享年から動かない。1度生まれてきてしまえば、その事実は永遠に消え去らない。宇多田光が生きてきたこの25年と1日の歴史も消え去る事はない。願わくば、光の日々が、光と共に歩む日々が1日でも永くよく続かん事を。さてこれからオフで祝います。


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Hステについて。キンハとの共通点は何だったんだとかソレはあの人の事にしかきこえないとか言いたい事はあるがやはり私はココ、「キーボード3ッ巴」。曲全体がリフとはどういう事だ。BWインタビューで「3ッになると可能性は無限」と言ってたのを思い出す。聴く前にコチラの妄想が無限に向かって走り出してるよ。対位法?ポリフォニー?自分でもサッパリ理解してない音楽用語を使いたくなる。今度の両A面も前の両A面での光の「BWよりK&Cの方がシングル向けだよね」発言同様2曲目SGの方がキャッチーな作風だったりするのだろうか。ミュージカルクリエイター光の手腕の冴えに期待が膨らみっ放しだ。はよ聴きたい!


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070710納豆の日メッセでDayOfNattowのものと思われる波形写真がUPされたが、同ファイルは後のStayGoldなのだろうか? 見た所写真は8ビートの等間隔なリズムに思える。SGは8ビート(のミディアムバラード)なのでこの点は合致する。実際にこの等間隔のリズムを刻んでいるのはリズムトラックの中音域、ドラムでいうならハイハットシンバルの音がある。それともう1ッB2後ろに小さくパタパタと響く音があって、コチラは16ビートを等間隔で刻んでいる。もう1ッC4の右側にも等間隔8ビートがある。何れにせよもしこのファイルがSGなんだとすると光は真夏(まだ梅雨か)に真冬な曲を書いてた訳で、何ともくすぐったいw


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先に光が最後に触れてる音楽メディアの話を。ダウンロードかCDかの購入方法の違いは思い入れの差だとか、メディア自体は変わっても"手に取る音楽はなくならない"だとか歳の割にアナログ世代な発言。光なら「当時のLPを忠実にミニチュア再現した紙ジャケでの再発に血眼になるロックファンの気持」もわかってくれそうだ(笑)。かくいう僕も、アナログどころかオープンリールまである家で育ったので各々の音楽メディアの風情は知ってるつもり。CDも当初は温かみがないと言われたけど、ソレで音楽に親しんできた世代にとっては前の世代のアナログレコードに対する思いと同じ思いがちゃんとあるんだよね。


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2時間の間で何があったんだろう、という位落差のある2連発。写真を見較べると意図的とも取れるけど。言ってる内容は大して変わらないんだけどね。要はいいテイクが取れた、と。この人ホント音楽が好きなんだね。感動を与えるにはまず自分が感動を知る事。当然の事の様に思えて難しい。仕事として毎日音楽に埋もれてたら尚更。最初"「がっかり」の正反対"と書いたのが印象的。音楽に触れて感じる事は音楽を聴いて感じてくれ、って事かな。しかし1/17に「大惨事が必要」と取られかねない風に書くのはマズイかもなぁ。「人生はKiss&Cry」って話は、歌に込めておけばいいさ。


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というバナーがemijとu3に貼られた様だ。リンク先はRIAJ(日本レコード協会)の該当ページだ。何故このタイミングで、なのかは寡聞にして知らないが、取り敢えずこういった件に関してのざねっちの見解が6年前(もうそんなになるか)に出ているから参照しておきたい。StaffDiary2002年4月23日(火)、「近況その2」である。長文だが乱暴に要約すると「コピー防止はしたいけど今(※02年当時)は音悪くなっちゃうから採用しない。音がいいままでガードできるんだったら採用するかも」って感じだ。こういう議論はとかく感情的になり本論から離れがちだが、以後の展開が気になる所だ。


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