無意識日記
宇多田光 word:i_
 



え~究極のまったり連載(汗)「UtaDA今後の展望」も今回でおわりです。
その5からの続きです。どうぞ。

*****

 しかし一方で、そう、宇多田ヒカルは、“Keep Tryin’”のPVについて触れたときに「これを最後に夫とは映像の仕事は一段落」的な発言をしているのだ。確かに、筆者個人の印象としても“Passion”のPVの洗練された美しさは完成形に近いものだったと思うし、それに続く件(くだん)のキプトラPVは、完成形のあとのエンドロールのような、香港映画のNG集じゃないけれど(なんだそりゃ)、過去の作品へのオマージュとパロディに溢れた、その意味での“集大成的作品”であったから、これをもって彼とのコラボレーションは第一部完!と思っても何も不自然ではない。

 とはいえ、正直な感想をいわせてもらえれば、やっぱり筆者は彼とのコラボレーションを止める必要はない、と考える。YMMPVでのあの荒々しい、どぎついまでの感性のギラツキ加減を前回のリラートを書くにあたって何度も見返した身からすると、ここから先に進まないでどうする!というのが真っ当な感想なのだ。こういう作品を作り、ひとの心を喚起し、そのフィードバックを得てそれをまた増幅して蹴返すくらいの気概が、この2人のコラボレーションにはある。一方で確かに、“FINAL DISTANCE”~“traveling”、“SAKURAドロップス”のように、どうにも涅槃に片足突っ込んだような独自性が際立ち過ぎ浮世離れし過ぎる作風がこの2人の間にあることも確かだ。なんだか「2人の絆の間には誰も割って入れない」といういつもの悲しい結論が見えてしまうのだが、もしそうだというのなら、そのラブラブっぷりをもっともっと作品に反映してもらわないと、こちらとしても納得がいかない。そして、それを披露する相手は、この島国の中の人だけでなく、世界中の人であってほしい。それくらいのスケールが2人にはある。極端にいえば、将来宇宙人がやってきたときに2人には「地球人代表芸術家夫婦」として立っていてほしい、それくらいの期待はしているのだ。もしUtaDAの2ndアルバムを制作した際には、彼を今一度映像ディレクターとして起用してみてほしい。私はそんなことを願うのでした。(おわり)


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )