無意識日記
宇多田光 word:i_
 



いろんな更新が錯綜していますが&レス音沙汰ナシっ放し(すいませんしかし皆さんホンマにありがとうございますm(_ _)m)ですが、今夜の更新はコレです~。その4からの続きです。

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 どうにも、これが引っ掛かるのだ。全米でのデビューは、向こうの意向を重視して、売れっ子ディレクターを起用して“Easy Breezy”のPVを作ったのだが、だからどうした、という内容だった。ファンとしては彼女の姿が映ってる(しかも水着だっ!!!!!)だけで溜飲を下げてしまうので、評価が甘めになってしまいそうなところだがそうはいくか。そこは私も冷静である。(ほんまかなぁ(苦笑)) あれは、つまらないとはいえないまでも、強烈な印象を残すというほどでもなかった。及第点かな、という出来だった。しかし、YMMPVは、もうどうにもいつもの「全力で創り上げた」作品に見えた。その気合たるや敬服するしかない迫力だった。なのに、アメリカのとき以上に、この曲に対するアーティスト側&レコード会社側からのフォローはなかった。「ま、売れたらもうけもん」という程度の様子見にしか見えなかった。なんだったのだろうこれは。日本歴代最高のコンポーザーが、日本で最も挑戦的な映像作家と組んで創り上げた傑作、これで殴りこみをかけずに何をする、というセリフが私の口をついて出る。

 しこたま考えたのだが、その消極性の根幹が何かは、私にも想像すらつかない。ただひとついえるのは、宇多田ヒカル名義の作品だけではなくUtaDA名義の仕事においても、紀里谷和明という鬼才が、妻の楽曲とのコラボレーションをする意志があり、また、そこでも物凄いハイ・クオリティの作品を作ることが可能である、ということが既に示されている、という事実である。彼の性格を考えれば、勿論プロモがどうの、というややこしいことは、自分が実際に携わらない限り無頓着になりそうなので、このYMMPVもまた「作って満足」だったのかもしれないが、ともかくこれがこれからのUtaDAの強力な援護に、というか最も注目すべき点のひとつになる可能性がある、という点は見逃してはならないだろう。(その6へ)


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Letters初聴時「このフックは紆余曲折後の飛躍で誕生したな」と直感した。Passionはワンコーラス終わる前に「日本語詞極めて難儀だったろう」とその労力を思い涙した。何故音を聴いてそう思えるかは「経験から」位しか答えようがないのが悔しいが、音から読み取れる事柄だというのが私の実感だ(両曲の実際については当時記事で確認サレタシ)。FoL初聴時MakingLove連想したのは「すんなりできた」との光のコメントが既に音に顕だったから。ML創作時苦労話は未聞だが恐らくコチラも「すんなりできた」曲と思う。そのスムースさが両曲の親しみ易さに直結してると考えるのも面白いかも。


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