『Aitomatic』の『君とParadise にいるみたい』の『Paradise』の発音の仕方の話。「EIGHT-JAM」でヒカルは次のように語っていた。
『最近の曲とかでは多分無いんですよ。最初の、ファースト・アルバムの中では、もっとルーズに考えてて。だから、文法で言ったら英語でちょっと間違ってるけどまぁいいや、とか。発音も、英語発音と日本語発音が一言の中で変わるとか。“Paradise"も『Para-』って英語発音してるけど、『Para』で次は『da-i-su』って日本語発音、カタカナ発音にしてたりとか結構その辺、すごい自由にやってたんですよね。それはそれですごい良かったなぁと思う時があるんですけど。』
番組該当部分前後で語られていた歌謡曲の話は一切忘れて貰って構わない。結果論でしかないけれど、紛らわしいだけで何らこの話には影響しない。
つまり、ヒカルは『Paradise』の部分の前半を英語発音、後半を日本語発音でそれぞれ歌っている、と自覚してるわけだ。なるほど、敢えてだったのね。─言及したの初めてかも??
これ、結局のところ歌の問題というより「歌詞カードの表記」の問題なのよね。『Paradise』ってアルファベットで書いてあるからまるごと英語発音なのだろうと、歌詞カードを読んだ人にはそう思わせてる、という。だからここを正確に書くのなら「Paraダイス」とでも書けばよかったのかな。うむ、私ならこれを「並行なサイコロ」だと思うわ。なので、まぁ『Paradise』か「パラダイス」の二択になってたろうな。
しかし、ヒカルの言う通り、自由だねぇこの英語と日本語の横断。自在と言った方がいいか。確かに、『First Love』アルバムにはそういう例が幾つも見られる。
そもそも、タイトルトラックの『First Love』の決めゼリフ、
『今はまだ悲しいLove song 新しい歌 うたえるまで』
の『Love song』も、ヒカルは『ラヴゥソングゥゥ』と歌っている。英語のloveのveにもsongのgにも母音はないから、英語のままではこうは歌えない。歌うとするなら「ラァァァヴ、ソォォォォング」みたいにloとsoを伸ばすことになるね。つまりここは、本来ならカタカナを使って
『今はまだ悲しいラヴ・ソング』
と書かなきゃいけなかったところ。ただ、母音の正確さまで反映させるならさっきのParaダイスみたいに「Loヴsonグ」とかって書かないといけない。読みづらいったらありゃしない。なのでここの表記も仕方なし。
ちゃんとアルファベットとカタカナを正確に書き分けてるケースもある。『In My Room』の
『だからDreaming of you 夢にエスケープ in my room』
の一節は、確かに『エスケープ』のところだけが「エスケェプゥ」とまるでpeに母音uがあるかのように歌ってる。ここはカタカナで正解。なお恐らく尺合わせの為である。言い方を変えれば苦し紛れ。だが結構しっかりハマったので結果オーライといったところか。
しかし同じく『In My Room』の
『私だけのPrivate zone』
に関しては、ヒカルは「プライヴェエト・ゾォオン」と語尾の「ト」をしっかり歌ってるので正確にはPrivateという英単語の発音にはなりきれておらず、「Paraダイス」同様「Privaト」みたいなことになっている。これもわざとだったんだなーと今凄く感慨深くなってる私である。
他にも同アルバムでは『Another Chance』の
『こんなNaturalな感覚が間違ってるわけないのに』
の『Natural』もまた、発音は英語なのに符割は日本語カタカナの「ナチュラル」に沿ったものになっていて、いやはや当時のヒカルは本当に自由だったのだなと何度も痛感せずにはいられない。
…いや待て。でも日本語英語混じりの歌詞でいちばん自由だなと思ったのは、それこそその『Another Chance』の
『I'm searching for you , my dear
In the まわる色模様』
だよね。英語で『in the』まで行っといてそこから唐突に日本語なの!?ってビックリしたやつ。しかもこれがうまい具合にハマってるもんだから二度ビックリというか、「ちょっと待て今なんつった!?」ってもう一度聴き直した、だったかな。いやはや、ほんと自由で、やっぱり自在だわ14〜15歳当時の宇多田ヒカルは。その頃ならではの魅力のひとつと言っていいかもしれないね。
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