無意識日記
宇多田光 word:i_
 



昨朝の補足。例えばこうゆうことだ。小説なら、ドイルやポーや乱歩自身が殺人鬼とは思われないし、ユゴーが19年間逃亡していたとも思われない。語りの形式が3人称だからだ。勿論1人称小説もあるが作家の名では語られない。ここで作家自身の名でストーリーを語ると手記・日記・随筆と判断される。作家宇多田ヒカルは(1・2人称を用いてても)小説感覚で詞を書いてるのに今度は歌手宇多田ヒカルの名と姿で人前に出て1人称で語るものだから人々はその質を小説的に評価することはせず、手記・日記・随筆として受け取ってしまう。そのジレンマに光は不服そうに口を尖らせたのだった。


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