哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

私の人生と芥川龍之介の人生

2010年03月31日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

そもそも、私の人生とは、他の人の人生と区別できるものなのか?

たとえば私の人生と芥川龍之介の人生とはどうやって見分けがつくのか? それは名前が違うとか、有名だとか有名じゃないとか、で見分けられる。生年月日も生誕地も違う。しかし、そんなことは細かいことであって、どちらも人間だということでは、おおざっぱに言えば、同じですね。

顔が違うとか、身体が違うとか、DNAが違うとかで見分けがつくではないか? 芥川龍之介は双子の兄弟はいないはずだから、芥川龍之介以外の人が芥川龍之介のDNAを持っているはずはないでしょう。クローンはいないのか? まあ、芥川龍之介の遺髪か何かが現存していてそれからクローン人間が作られたとすれば、それは芥川龍之介と同じDNA,同じ顔、同じ身体を持っているでしょうね。近い将来のバイオ技術を使えば、それは百人でも千人でも同時に作ることもできそうです。

では仮に、この私が芥川龍之介のクローン人間の一人だとしましょう。そうすると、私は芥川龍之介と同じDNA,同じ顔、同じ身体を持っている。それで私は、自分の人生が芥川龍之介の人生と同じだ、と思うだろうか?

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