芥川龍之介『或阿呆の一生』は「彼」の経験として書かれている。その「彼」は、芥川龍之介なのか、あるいは芥川龍之介が観察している別の男なのか、あるいはさらに、この文章を読んでいる読者なのか? そのどれでもよいのか?
どれでもよいという気もします。もし、そうならば、「彼」の人生は、今この短編を読んでいる読者である私の人生でもある。少なくとも、これを読んでいるときの私は、「彼」の人生を生きている。逆に、私の人生が『或阿呆の一生』のようにリアルに描写されれば、それはそれを読む読者の人生になる。
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