気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

静的な欲

2021-05-29 08:25:37 | 「立つ」健康法
 欲には本能的なもの、社会的なもの、趣味的なものなど色々ある。しかし欲は必ずしも動的なものであるとは限らない。ずっと「立つ」練習をしてきてわかったのは、静かな方向を求める欲があるということ。「立つ」という静的な状態の中で、身心は充実する。満たされると、それを自分が求めていたことに気がつく。
 何もしていない人は本当に何もしていないのだろうか。もしかしたら「何もしていない今の状態に満足し、それ以上の変化を求めていない」だけなのかも知れない。逆に意欲的に見える人でも、現状への不満が行動の契機になっているだけかも知れない。見た目の行動の量で、生きる質を判断することはできない。
 「静的な欲」は動的なもののように見た目に現れないからわかりづらいが、感受性を高めていくことでより良くわかるようになる。人には本来、動だけでなく静を求める気持ちがあるのだから。

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最高の状態は日持ちしない

2021-05-22 08:44:40 | 「立つ」健康法
 「立つ」練習をして身心の状態が良くなっても、それは長くは続かない。「立って」いるときは、普段と違う「ものを一つに観る」という意識になるから整ったわけで、意識が日常の相対的な見方に戻れば再びいつもの身心になるのは当然である。
 内山興正禅師の本?だったかに「悟りは日持ちしない」というようなことが書いてあった。悟りは身心を極めたところに稀に到達できる境地であるから、悟ったままの状態で普段の生活をおくることなどできるはずはない。
 「立つ」ことは悟りではないが、身心の絶妙なバランスの上に成り立つという点では共通している。最高の状態は「日持ちはしない」が、ある程度のよい状態は残る。また普段と違う身心の状態があることを知ることで、視野は拡がり、生きやすくなる。これだけでも意味のあることだと思っている。

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気の眼

2021-05-16 06:15:44 | 「立つ」健康法
 私たちは普段「色メガネ」で物事を見ている。偏った自分の観念・思い込みで見ている。「心眼」は肉眼ではなく心の眼で物の深い処を捉えるものだが、物を比較分別していることには違いがない。私は「立つ」練習のときに気の眼(気眼・きがん)を使っている。気眼は物を分けずに一つに観る眼。もちろん私のような凡人がそんなことを完全にできるものではない。しかし、それを目指すことで、多少なりとも身心が変化することを感じられるのである。
 だからと言って日常の「色メガネ」が悪いわけではない。誰でも全てを客観視することは不可能で、少なかれ「色メガネ」で見ているものだ。ただそれが過ぎると生きづらくなることもまた事実である。「気眼」を使うことで少しでも「色メガネ」の色を中和し、透明に近づけることができればと考えている。
 

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理想の立ち方を身につける会 2021年 5月

2021-05-07 15:22:53 | 「立つ」健康法
「立ち方を身につける」と言っても、姿勢だけを整えることではない。意識を含めた全身を整えることだ。私たちは日常で意識を酷使している。常に比較と選択に追われ疲れている。そのように物事を分けて観ずに、一つとして観ようとすると、身心は変わる。そういう自分で自分を整えることを体験できると、生きていく上で少し楽になる。

「理想の立ち方を身につける会」を5月9日(日曜日)に開きます。関心のある方は是非ご参加ください。詳細はホームページをご覧ください。

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存在の肯定と否定が現れるからだ

2021-05-01 12:04:10 | 「立つ」健康法
 相手の存在を認めるということは、自分の意識の中に相手が入ることを許すということである。相手と自分がつながって一つであると言ってもいい。反対に相手の存在を否定するということは、自分の意識の中に入ることを許さないということである。相手を否定する最たるものが戦争であり、殺人である。それを実行しようとする者は、意識上で相手と自分を完全に分けている。
 それは単に意識の中だけで行われることではなく、からだにも反映する。ものを分け、比較し、選択し、否定していくことが過ぎれば、からだのバランスが崩れる。人であろうと物であろうと、その存在を否定していく程度が強いほど、自分のからだに与える影響は強い。バランスが崩れれば、キチンと「立つ」ことができなくなるだろう。キチンと立つこともできずに目指すものがあるのだろうか。


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