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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

イメージできないということは

2017-03-25 08:44:15 | 「立つ」健康法
 太極拳教室で、良い「立ち方」を習得するためにイメージを使った練習をしているのだが、ある人に『イメージはさっぱりわかりません』と言われた。

 「イメージが分からない」とはどういうことなのか、二つ考えられる。

 ①イメージをしてもからだが反応しない。意識ーからだ の連絡が悪い。
 ②イメージそのものが上手くできない。


 私のすすめているイメージは、禅や大乗仏教の万物同根、老子の道などに近い。物事を一つに観ようとするものだ。私は生徒に思想を押し付けているのではなく、そのようなイメージ(意識・考え)を持った時に、からだが良くなることに気がついたからである。
しかし、このような観方は難しい。日常の生活は相対的な考えでしていることばかりだからである。「物事を一つに観る」という観方が、理解できない人もいるだろうし、そういう考えに抵抗がある人もいるだろう。それでも私は「からだが変わるのだからしてみませんか」と言う。


 人によっては、他のイメージの方がからだが良く変わるかも知れない。たとえば、美しい景色を想像する…或は成功・勝利・栄誉…のようなものをイメージする。これらのポジティブ?な思考は、落ちている人の身心を一時引き上げる効果はあるかも知れないが、長くは続かないはずである。からだにとって自然なイメージではないからだ。自然とは、一つのものであって、美醜や成功失敗などで分けられるものではないからである。


「考える」前に

2017-03-19 10:43:43 | 「立つ」健康法
 気分はからだの状態で変わるものだ(身心一如)。不安定なからだの状態で考えれば、不安定な考えになりやすい。日常の大したことのないことならば、からだの状態云々はそれほど大きな問題にはならないかも知れないが、人生の岐路に立った時など大事な場面では、最高の答えを出したいものだ。一番良いからだの状態で考えることが、一番その人らしいものになる。だから考える前に、先ずからだを整えるということがあって然りである。
 「立つ」練習をする前に「いやだな~」「面倒くさいな~」などと思うことがあるとすれば、からだがそういう状態だからそう思っただけのこと。からだが整えば「なんて気持ちが良いんだ!」となる。「思うがままに生きるんだ」といっても、「思い」がいつでもその人にとって後悔しないような良い答えを出すとは限らない。思ったときのからだのバランスが悪ければ、その思い(考え)は、自分の真意から離れたものになるかも知れない。人生をかける選択は、最良の状態でしたいものだ。

整体を教養とする

2017-03-11 09:14:06 | 野口整体
 野口晴哉氏は著書「風声明語2」の中で、整体について次のように述べている。

「整体は正しい体を保つ為の教養です。昔は技術でした。それが体育になり、これからは教養として人間の持っている本来の能力を自覚し、発揮し、人間の全生活を溌剌とした方向に進めることであります。」

 この文章が何時書かれたものか知らないが(50年以上前?)、野口氏の目指した世界は未だ成っていない。整体は技術を売り物にして、体育≒スポーツ≒健康 になっている。野口氏は整体を教養として身に付けることは、整体の技術よりも、体育よりも、大事だと言っている。技術や体育がいけないのではなく、その前に教養があるべきだと。それは野口整体の根本をキチンと掴むことである。
 大事なことは、野口氏の全ての著作の中に一貫して流れているものだから、それを感じ取ればよい。
 大事なことを意識していると、からだが変わる。「身心一如」であるから。身と心の連絡が上手く行くようになると、次のようになる。

「整体では、裡にある健康であろうとする要求を感ずることが第一であり、感じた裡の要求に順って行動することがその為すところであります。(同書)」

2017年 渓流釣り 始まる

2017-03-02 16:49:23 | 渓流・鮎釣り
 今シーズンの初釣。山梨県・桂川の沢。昨日が解禁日だったから、この沢にも人が入っただろう。たまに小さなアタリがあるものの、針掛かりしない。チビ山女魚が釣れたが、後は続かず、渋い状態。2年前までは岩魚しか釣れなかった場処で、どういう訳だか去年から山女魚が釣れるようになった。
 上流まで来た。小さな落差の水泡の下にエサが消えて、一瞬の沈黙、ドシンッと重たいアタリ。「大物の手応え!」竿を片手で持ったまま、もう一方の手で水中の障害物を取り除いて取り込みの準備をする。タモ(網)は持参していないので、魚の顔を水上に出させて弱らせ、頃合いを見て手でサッと陸に上げる。岩魚だ。私の靴と同サイズの29センチ。



 最後の滝、餌を入れた瞬間に喰い付いて来たのが、この山女魚(27センチ程度)。まだ寒さの残るこの時期に、不釣り合いなほど前後左右に大暴れした。

 
 帰りに、溪に沿って山道を歩いていると、沢の音が思いの外大きいことに気が付いた。釣りをしている時、水の音を聴いている自覚がない。しかし聴いているはずである。レインコートを頭から被ると、音が聴こえず、釣りづらい。人は無意識にいろんなことをやっている。