気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

野口整体という生き方

2018-01-26 13:57:26 | 野口整体
 野口整体(野口晴哉氏)の本で、最初に読んだのが「健康生活の原理」と「整体法の基礎」。からだ・健康に対する考え方が独特で面白いなと興味を思った。それより前に老荘思想を学んでいたことも興味をひかれたことと関係があるだろう(野口氏も荘子や禅の本を読んでいた)。
 20~30代は悩み多き時だった。自分のやりたいことが分からず、どう生きたらいいのか分からず、いつも道を探していた。そんな時に野口氏の思想に出会った。氏はよくある啓発本のようにポジティブシンキングを説くわけでもなく、堅苦しい道徳を勧めるのでもなく、絶妙な人間観察に依拠した整体(生き方)を提示して見せたのである。それは具体的な「一つの道」ではなくて、自分の生きる姿勢を問うものである。キチンと自分(からだとココロ)に向き合うことである。自身の欲求に気づき、それに従って生きていくことである。
 それから20年経ち、いまだにその作業は続いている。一つの道があってもなくても、今の「生」を充実させていくことが大事なことなのである。


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霧の山道では考えられず

2018-01-19 09:52:33 | 
 昨日の朝、5時過ぎに起きて裏山を登ってみると、霧がすごかった。視界が悪く、何度も道を外れ、木の枝にからだをぶつけた。怪我をするリスクもあるので、途中で引き返すことにした。
 普段は山道を歩きながらいろいろなことを考えたりしているが、ここではそれどころではない。しかし考え事はできなくても、眼の前のことに集中できることは悪くはない。五感を研ぎ澄まして、障害物や地形に意識をはらう。一歩一歩ゆっくりと、丁寧に進む。ここにもまた楽しみがある。
 

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野口晴哉氏をさらに知るために

2018-01-14 10:45:09 | 野口整体
 野口晴哉氏(野口整体の創始者)の古い講義録や著作全集がヤフーオークションなどで高値で取引されているようだ。どのような人が落札するのだろうか。野口整体の従事者かマニアックな人か…。普通に野口整体を通じて健康を目指している人は、わざわざ手に入れる必要はないだろう。なぜなら野口氏の書いたものに駄作は一冊もなく、大事なことはすべての本に一貫しているのだから。生命・自然に対する絶対の信頼、健康観、人の生き方…は氏のどの文章からも感じ取ることができる。
 野口氏を知りたければ彼の著作だけでなく「臨済録」や「荘子」を読むのもいいだろう。臨済が、仏とは何か知りたがっている弟子に対して「お前が仏だ(外に仏を求めるな)」と言ったことを野口整体的に言いかえれば、「お前が整体者だ(自分のからだは自分でなおせる・外になおしてくれる人を探すな)」となる。

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暗い山道で考える

2018-01-05 11:32:53 | 
 年末から毎朝、山を歩いている(元旦は除く)。暗いうちに出て、日の出る前に帰ってくる。
 朝の散歩で何より嬉しいことは、よい「言葉が降りてくる」こと。と言っても、いきなり神のお告げや考えてもいないことが「降りて」来ることではなく、普段から思ったり考えたりしていることが、上手くまとまる感じである。まったく関係のない二つのことが一つになったり、気にも留めなかったことが大事なことだったと気づかされたり。
 例えば昨日は、太極拳の型(套路)と野球の素振りは同じなんだと思った。言うまでもなく素振りは、試合で打つための練習の一つであり、最終目的ではない。太極拳の型もそうである。しかし多くの太極拳愛好者は、型を覚えることで終わってしまう。実践(闘い)を勧めているのではなく(それを目的とすることは悪くはないが)、太極拳の型を最終目標としてしまい、その応用(先を考えること)をしないことを惜しんでいるのである。ちなみに私は太極拳をからだの使い方を身につける手段と位置付け、日常生活に活かすことを考えている。
 人はアタマだけでなく全身で物を考えている。今の私は、暗闇の山道を歩きながら考えることが、カフェや風呂よりもいいようだ。

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