「愉気法は本能である」と野口晴哉氏の著作の何処かに書かれていた。従って愉気法とそれをベースにした整体は仕事に成りづらいと。本能である愉気法を、何時・どの位する(相手に対して施す)のかということは決めることができないからだ(やってみなければわからない)。ある人には長く、ある人には短くなる。料金が同じで時間の長短があるということは、やりづらい(受ける人がその辺をキチンと理解していれば良いのだが)。
場合(たとえば指導者本人の体調、或は受けに来た人との相性の問題)によっては、指導者が「したくない」ということもあり得る。もしそういうことを我慢して、予約だからするということがあれば、本能とは呼べないのではなかろうか。
愉気法は中国の「外気治療」のように、気の物理的な成分で患部にハタラキかける方法とは違い、愉気法を通じて、「感受性(本能)を高める」ことにその目的がある(治療や痛みの緩和は二の次)。指導者が本能を使わずに、どうして相手の本能を高めることができるだろうか。
巷にどれくらい野口整体の技術を使った整体師(指導者)がいるのか知らないが、本能に依拠した方法を全うしている人は少ないのではなかろうか。
場合(たとえば指導者本人の体調、或は受けに来た人との相性の問題)によっては、指導者が「したくない」ということもあり得る。もしそういうことを我慢して、予約だからするということがあれば、本能とは呼べないのではなかろうか。
愉気法は中国の「外気治療」のように、気の物理的な成分で患部にハタラキかける方法とは違い、愉気法を通じて、「感受性(本能)を高める」ことにその目的がある(治療や痛みの緩和は二の次)。指導者が本能を使わずに、どうして相手の本能を高めることができるだろうか。
巷にどれくらい野口整体の技術を使った整体師(指導者)がいるのか知らないが、本能に依拠した方法を全うしている人は少ないのではなかろうか。