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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

野口晴哉の「理解」

2025-02-18 14:48:50 | 透明を観る
「野口晴哉著作全集2」の「語録二」を読んでいると、「理解」という言葉に頻繁に出会います(以下抜粋)。

理解は確信の道なり
理解より悟入したるが 真の確信なり

理解なき希望は空想に過ぎず 成就することもなし
成就するも 理解伴わなければ成就ではない

真に理解あれば 不幸不運避くることなし

自己の為したることを悔ゆるは
自己を真に理解せざるが故なり

理解は迷いを去らしめ
悟りを開き
之を確信の境に導く

理解の伴わぬ治療は 真の治療ではない
されど理解は自づから生ずるが尊し

忘却は理解の究極なり 理解の究極は忘却なり
理解を忘却して理解するは 之 真の理解なり


 野口氏はここで、具体的に何を「理解」することなのかを言っていません。それは整体指導者や真の健康を目指す人が、知らなければならないことです。病気とはどういうものなのか、健康とはどういう状態をいうのか、生きるとはどういうことなのか、自分とは何なのか、自然とはどういうことを言うのか・・・こういうことを理解するということは、知識として覚えるものではなく、生き方を通して裡から生じるものです。

 *お知らせ
 これからしばらくブログを休みまして(期間未定)、「ブルースカイ」というSNSで「透明を観る」の紹介をします(旧TwitterのXにも同様の記事を載せる予定)。よろしくお願いいたします。




透明の変化を指で感じる②

2025-02-01 07:42:36 | 透明を観る
 前回の続きです。
「透明を観る」をしても、まだ身心が整わないことがあります。背中の観察をしてみると、まだ筋肉が凸凹していたり、「何か」が指先に伝わってきたりします。そういうときには、指をその気になるポイントに当てたまま、「透明を観る」をします。「その場処が透明になっていないから、こうしてまだ残っている」と考えます。そこをピンポイントで「透明」だとイメージするのです。手を当てている人も受けている人も、どちらもそう考えます。1箇所20〜30秒くらいで十分です。「気」というものを「物」とだけ考えている人は、とかく長い時間手を当てたり、受けたがりますがそうではありません。「気」は物理的な面もありますが、「質」が大事です。身心一如の人が、意識すれば即カラダが変わるような、そういう「質」です。それは意識(認識・イメージ)によって作っていくものです。

「透明」の変化を 指で感じる

2025-01-26 07:26:03 | 透明を観る
 「透明を観る(イメージをする)」ことによって身心が変われば、本人は良くなったことを直観的にわかります。より具体的にわかるために、教室では野口整体の技術を使って背中の観察をします。背骨に沿って両手を滑らせて、筋肉の状態を観ます。筋肉の凸凹や、伝わってくる感覚を指先で感じ取ります。「透明を観る」の前後に観察をして、もし変化があるならば、それは「透明を観る」の影響であると考えることができます。感覚の鈍い人は、身心が変わった自覚を持てないことがありますが、他人が観ると、背中が変わっていることは良くあります。実感がなくても、変わっていることはあるのです。続けていけば感覚が磨かれて、いずれ自分でもわかるようになります。
 寝る前に「透明を観る」を行えば、あくびが出たりして、眠りやすくなります。

「思う」ことを力に

2024-12-29 08:51:23 | 透明を観る
 野口晴哉氏のいう「念ずれば現ず」「唯心処現」という言葉は、思っていれば現実になるという意味です。しかしなぜそうなるのでしょうか。
 「思う」とカラダが変わるからです。思った瞬間に、すでにそれに向かってカラダが動き出しているのです。たとえば、出かけるかどうか迷ってダラダラしているときに、「行こう」と決めた瞬間、カラダが出かける準備をします。歩くために必要な緊張をします。つまりもう行動し始めているのです。
 思った瞬間にカラダが変わるということは、その実現にすでに近づいているということです。このように「思った」ことがキチンと反映するカラダを養うことが大事です。こういうカラダをもって、実現したいことを繰り返し深く思うこと。それが上の言葉なのです。

 私はできるだけ「透明を観たい」と思っています。いつもというわけにはいきませんが、思う前に、考える前に、動く前に。その方が自分らしくいられると思うからです。

 今年も拙文をお読みいただき、有り難うございました。
 

「透明を観る」の前後

2024-11-08 08:40:08 | 透明を観る
 明後日(11月10日)のワークショップでは、「透明を観る」の前後で「観察」を行います。「観察」というのは野口整体の技術で、相手の背中を手のひらで触れて観察するというもの。背骨の両側を縦に上から下に指を滑らせます。凸凹していたり、硬かったりするところがあることもあります。ちょっと痺れたり、痛かったりすることもあります。そういう状態が「透明を観る」をすると変わります。だいたい状態が良くなり、指を滑らせやすくなります。初めて参加される人はわからないかも知れませんが、それでも良いのです。
 他の教室で「透明を観る」をしたとき、他の人が観て、背中が明らかに変わっているにもかかわらず、本人は変わったことが自覚できないということがありました。このような鈍い人でも続けていけば自分のからだや他人のからだが少しづつわかるようになります。もちろんからだは敏感な方が健康であることは言うまでもありません。

 「透明を観る」で身心が変化することが実感できれば、日常に取り入れていくようになるでしょう。