「野口晴哉著作全集2」の「語録二」を読んでいると、「理解」という言葉に頻繁に出会います(以下抜粋)。
理解は確信の道なり
理解より悟入したるが 真の確信なり
理解なき希望は空想に過ぎず 成就することもなし
成就するも 理解伴わなければ成就ではない
真に理解あれば 不幸不運避くることなし
自己の為したることを悔ゆるは
自己を真に理解せざるが故なり
理解は迷いを去らしめ
悟りを開き
之を確信の境に導く
理解の伴わぬ治療は 真の治療ではない
されど理解は自づから生ずるが尊し
忘却は理解の究極なり 理解の究極は忘却なり
理解を忘却して理解するは 之 真の理解なり
野口氏はここで、具体的に何を「理解」することなのかを言っていません。それは整体指導者や真の健康を目指す人が、知らなければならないことです。病気とはどういうものなのか、健康とはどういう状態をいうのか、生きるとはどういうことなのか、自分とは何なのか、自然とはどういうことを言うのか・・・こういうことを理解するということは、知識として覚えるものではなく、生き方を通して裡から生じるものです。
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これからしばらくブログを休みまして(期間未定)、「ブルースカイ」というSNSで「透明を観る」の紹介をします(旧TwitterのXにも同様の記事を載せる予定)。よろしくお願いいたします。