気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「キチント立つ」ための、イメージ

2015-02-27 15:56:18 | 「立つ」健康法
 キチント立つために、足の裏は特に大事な処である。体重はすべて、左右の足の裏にかかっている。
 しかし、いくら大事だからと言って足の裏だけを意識しても上手くは立てない。
 言うまでもなく、足の裏は身体の末端である。しかしそういう常識的な認識を持つよりも、身体は実際よりも大きく考えた方が、結果的に立ちやすくなるのである。たとえば、身体が上下前後左右にそれぞれ30センチ程度拡がったように想像してみると、からだの力が抜けて、軽く感じる。「身体が大きく」と言ったが、要は身体以外の処に意識をおくということである。たとえば、部屋の壁や、床や、目に観えるものをできるだけ考える、それから目に観えない空気のようなものも想像できれば尚いい。
 私たちは普段、自分の興味のあるものだけを観ている(意識の偏りがある)が、それがそのまま身体の偏りになっている。だからイメージを使い、できるだけ意識をすべての方向に均等に分散し、偏りを中和させる。偏りは方向だけでなく、比較競争などの目的意識を持つことからも生じるから、それらを中和するために、たとえば一つ一つの物の価値を(自分も含めて)、同等に考えるようにしてみる。日常でこのような意識になることは難しいが、立つ練習においてなら、できないことはない。

 東洋哲学には、物事を相対的に観るだけではなく、すべてを平等に観る(全部がつながっている)という観方がある。先述した、部屋の中のものを一つ一つ想像して行くのは、こういう観方に近い。
 私は仏教や哲学に詳しくないが、からだの感覚を(物事をとらえる)基準にしてきた結果、このような共通があったことを面白く思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

股関節を弛めれば、野球が上手くなる

2015-02-20 08:25:07 | 「立つ」健康法
 高校時代、野球をやっていたが、守備が下手だった。毎日のように練習をしていたにもかかわらず上達しなかったのは、股関節の力を抜くことができなかったからだ。ボールを捕る時には、姿勢を低くするのだが、そのからだの沈め方が上手くできなかったのである。
 指導者は、「腰を落とせ」「もっと低く」などと外形を変えることを求めても、その具体的な方法を教えはしない。腰を落とすといっても、(力が入ったまま)腰だけを落としてもダメなのである。腰を落とすためには、股関節を弛めることが大事なのである。股関節の力を抜けば、腰は自ずと沈んでいくのである。また股関節を弛めるためには、膝や足首も力が抜けていなければならない。緊張しやすい人は、みぞおち(鳩尾)を、弛めることも前提になる。こういう姿勢が取れれば、守備において、変化しながら転がってくるボールに対応しやすいのである。足の力も抜けている(硬直していない)から、ボールに向かって行くステップも軽快になり、そのままスローイングまで流れるようにできる。
 当時から、からだが硬く、柔軟体操などは、3人がかりでぎゅうぎゅうとやられたものである。現在でもからだはその頃と変わらないが、守備の姿勢を鏡に映してみると今の方が明らかにいい。これは、股関節の力を上手く抜けるようになったからである。
 私の太極拳を見た人が、私のからだが(物理的に)柔らかいものだと思うらしいが、そうではない。柔らかく動かすことができるのである。反対に、柔軟体操は柔らかくこなせる人でも、動くと硬くなってしまう人も多い。
 野球は数十年もやっていないが、投げ方、打ち方、捕り方、すべて(姿は)今の方がいい。高校時代に、こういうからだの使い方ができれば、もう少し良いプレーができただろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホームページ「気気の会(ただ立つ)」引越のお知らせ

2015-02-15 15:07:40 | 気気
 気気の会(ただ立つ)のホームページを、他社のサーバに引っ越すことになりました。現在その手続き・転送作業中なのですが、どうも上手く行かず、難儀しています(来月以降の「活動予定」が表示されなくなりました)。しばらく時間がかかりそうですが、ご了承ください。新しいホームページのアドレスは、http://www.ki-ki.sakura.ne.jp/ になります。
 私はインターネットやホームページのたぐいを上手く扱える人間ではないことは、自分が一番よく分かっています。出来る範囲で、自分のペースで何とかやってみようと思っています。

 取りあえず、お知らせまで。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私にとっては別世界

2015-02-05 14:09:59 | 野口整体
 今日は、母の通院に付き添った(母は私と違って医者好き?である)。いつもは弟が行ってくれるのだが、平日なので私が行くことになった。
 整形外科では、治療らしきことはなく、医者の幾つかの質問に答えて(薬をもらって)終わりである。実は、1か月前よりも、からだが右に倒れていたのだが、それに気づいてはくれない。からだを整える仕事の人が、からだに触れないということは、どういうことだろうか。関心がないのだろうか。
 野口晴哉氏は、相手がお辞儀をする姿を観て、悪い処が分かる人であった。部屋の外を歩く足音を聴いただけで、からだの様子が分かったという。
 整形外科から出て来る人を眺めていたが、目に見えるような変化が無い。野口整体ならば、帰るときには、明らかに良い顔(からだ)になっているのだが…。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする