気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「腕」を使わなければ太極拳は良くなる

2018-07-29 13:54:47 | 太極拳
 太極拳が上手くならない要因の一つは、「腕」を使い過ぎることにある。腕に使う力が、足や腹などより大きいのだ。五体と言ってもからだは繋がっているのだから、一体感のある動きが理想である。腕だけに力が入れば、からだのバランスを失うことになる。
 何故、腕に力を入れてしまうのか。本人の意識の問題である。本人が、太極拳をそう(腕を使ってするものと)理解しているからである。また腕は足や腹よりも動かしやすいから、そこに意識が偏りやすい。
 私が提唱するのは、腕を使わずに型(套路)をする練習。丹田の上下運動は、胸の上下運動を伴いながら、同時に胸を左右に開閉する。その力は肩から二の腕・肘・手首・掌と伝わっていく。捻る動作も、足首を捻れば、その力は股関節に伝わり、肩を動かし、腕の旋回になる。腕を止めておくと、力が伝わってくるのが分かる。伝わってくるとウズウズして動きたくなる。それから動けばいいのである。腕と腰や足を一緒に動かそうとすると、かえってバラバラになるのだ。
 そういうからだの内部を伝わる力が分からない人は、「立つ」だけの練習をして、からだを敏感にするといい。
 

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個人的な夏の健康法

2018-07-21 09:05:51 | 健康
 東京は連日暑い日が続き、教室に来る生徒も「アツイアツイ」と言っている。私が元気そうに見えるからなのか、生徒からは時々、「何か特別なことをしているのか」と質問をされる。特には何もしていないのだが、参考までに一つ二つ答えることもある。

①冷たいものを飲まない。
 ビールは冷えたものをグイグイ飲むが、以外の冷たいものはほとんど飲まない。普段教室に持ち歩いているものは、夏でもホットのウーロン茶である。コーヒーはホットで、アイスコーヒーは20年以上頼んだことはない。冷たいものが嫌いなわけではなく、出してもらえれば喜んで飲む。中国に留学中、毎日「開水」というお湯を飲んでいたことが習慣になった。無理しているのではなく、自然に温かいものを好んでいる。

②「アツイ」と口に出さない。
 人は他人から言われたことで元気になることもあればシュンとなってしまうこともある。自分が発する言葉は自分でも聞いているわけで、影響がないわけがない。口に出しているうちに段々意識が明確になり興奮したりすることもある。反対に、思っても口に出さなければ意識に上がりづらくなり、影響は最小限でとどまる。思ったことを言わないと「我慢」する感じがあるかも知れないが、口に出して不快な思いを明確にするよりも良い。もちろん、全ての大変なことを口に出してはいけないと言っているわけではない。嘆いたり、誰かに相談して楽になることもある。ただ安易に口に出すことを少し控えるだけで、気分だけでなくからだも変わるのに、と思っているのである。

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一体感のある動作

2018-07-14 10:35:37 | 「立つ」健康法
 一体感のある動作とは全身をキチンと使った動きのことである。それはただ五体を同時に動かす(腕と足を同時に動かし始めて、同時に終わる)ことではない。太極拳などで、動作を覚えるまではそういう練習の段階があっても良いが、いつまでもそれにこだわっていると前には進めない。
 「一体感」とは「質」のことである。頭から足の裏まで、全身の質感がそろうことである。もちろんこれは測定されたものではなく本人の主観である。
 太極拳の「起勢(最初の動作)」のように腕を前方に挙げて行く動作は、腕以外の処をまったく動かさないとやりづらいものだ。多くの人は腕を挙げる時に力が少し入り、降ろすときに抜けてしまうのである(質感が変わってしまう)。大事なことは、動く前にからだの質感をそろえておくことだ。そうすれば(丹田や足を動かさずに)腕の上下だけをしても、質感(力の強弱)は変わらないのである。
 ではどうやって質感をそろえるのか。それにはキチンと立つことである。イメージを使ってキチンと立てば、自ずと質感はそろう。イメージと言っても別にきれいな景色を想像することではない。要は普段と違う意識になることである。普段の意識のままでは普段のからだから変わることはない。普段は物事を比較・分別するような相対的な物の見方をしているのだが、それを「一つ」に見ようとすればいいのである。方法はいろいろあるから、自分に合ったイメージを探せばいい。
 意識とからだの関係、これを研究することは楽しいことである。

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「立つ」と坐禅の違い

2018-07-07 09:32:47 | 「立つ」健康法
 坐禅は言うまでもなく禅の修行法の一つだが、最近は身心を整える手段としても活用されている。私が主宰している「理想の立ち方を身に付ける会」は後者の目的に近い。しかし姿勢の違いは顕著である。坐禅は結跏趺坐や半跏趺坐のような坐り方をするが、私の方は「立って」行なう。坐ると立つ、普通は腰の力が違う。坐る方が腰の筋肉(背骨の横を縦に通る筋肉)に力が入る。着地面の尻が腰のすぐ下にあることと関係があるのだろう。しかしこれもある程度身心のレベルが上がると、どちらの姿勢でもそれほど違わなくなってくると思っている。
 坐禅と「立つ」、どちらが良い悪いではない。初心者のうちは、腰に力が入る坐禅の方が上半身の力を抜きやすいかもしれない。「立つ」方は、坐っているときほど腰に力が入らないので、全身の力をそろえやすい。そうなると、全身で呼吸をしている感じがする。そうして得られた全身の一体感は、一体感のある動作につながっていく。一体感のある動作とはどういうものなのか、次回にまた。
 

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