気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

自ら「立つ」ことで、からだが変わる

2020-03-28 08:56:55 | 「立つ」健康法
 私が指導しているのは「立ち方」。世の多くの人は「立ち方」など教わらなくても、ちゃんと立てていると思っているであろう。と言うよりも「立つ」ことなど意識したことがないのではなかろうか。私がキチンと立てるようになったのはここ数年である。
 「手を当て合う会(野口整体の愉気法のようなもの)」や整体など健康に良かれと思うものを長年やってきて、現在は「立つ会」を開いている。今までと違うのは、本人が「立つ」ことで変わるということ。整体のように指導者が「やってくれる」のではなく、愉気法のように誰かの手を期待するのでもない。身心は自分で何かをしなければ変われないということ、それに気が付き実践していく会である。ここでは、「意識」をからだとつながっているものとして同様に扱い、理想の立ち方に近づく。「意識」とは、物を一つに観て行くイメージのことである。普段私たちは物を相対的に(二つ以上のものを比較して)見ているのだが、それを一つに観ようとすることで「からだ」が変わる。完全にそのような物の観方ができているかどうかは、客観的な基準がなく、判断のしようがない。しかしながら大事なことは「観方ができるできない」ではなくて、身心が実際に変わったかどうかである。その変化は本人が身体感覚ではっきりとわかる。
 「物事を一つに観る」という観方を持っていることは、生きて行く上でも大きな力になる。私はこの観方のおかげで、ずいぶんと生きやすくなっている。

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「信心銘」の音

2020-03-22 09:54:55 | 「立つ」健康法
 「立つ」練習以外に、もうひとつ習慣になっているものがある。「信心銘」というお経を半分ほど唱えている。「信心銘」は達磨から数えて第三祖の僧璨(そうさん)禅師が書いたものだと言われている。私は20年くらい前にその日本語訳を読み、これはいいものだと思い、暗記することにした。せっかくだから原文の中国語で覚えることにした。例えば有名な冒頭の「至道無難 唯嫌揀択」は「zhi dao wu nan wei xian jian ze(これに声調を付ける)」となる。「但莫憎愛 洞然明白」は「ⅾan mo zeng ai dong ran ming bai」となる。それを「執之失度 必入邪路」まで続ける。最初、私は音だけを覚えることにして、繰り返し発音した。経の意味はあとでゆっくりと理解すればいいと考えていた(幾つかの文の意味は既に覚えていたが)。
 
 それから十年くらい、主に夜の教室の帰り道に歩きながら復唱している。1回読むのに、はじめはおそらく5分くらい掛かっていたのが、今では速くなり連続して3、4回繰り返すのが普通になった。いつの頃からか自分からやろうとしなくても、歩いていると自然にアタマに浮かんで来るようになり、その流れで唱えるようになった。

 私が何のために「信心銘」を読んでいるのかと言うと、「意味のないこと」をするためである。「意味のないこと」をすると身心が変わることを、「立つ練習」を通じて知ったからである。ここでいう「意味のないこと」とは常識や普通の価値観に於いてということであり、「立つ練習」の基準からしてみれば「意味のある」ことなのである。荘子の「無用の用」、野口整体の「虚の活用」である。だから「信心銘」の意味が分からない方が都合が良いのである。だからと言って「信心銘」を軽視しているわけではなく、今のところ内容を把握するよりも「意味のないこと」をする方に重きをおいているのである。深淵なる「信心銘」の内容は、いずれじっくり勉強したいと思っている。

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理想の立ち方を身につける会・2020年3月

2020-03-12 12:40:47 | 「立つ」健康法
私は「立ち方」を指導しています。健康法としてはもちろん、自分を取り戻す手段として、その具体的な方法を紹介しています。普段私たちは自覚の有無にかかわらず、自分らしくない身心の状態で生活していることが多いと考えています。「立ち方」を変えるとからだだけでなく意識の持ちようが変わります。それは今日一日を変え、人生を変えていきます。関心のある方はどうぞご参加ください。


2020年 3月15日(日) 東京都 国立市公民館 3階 和室 
 
  公民館…国立市中1-15-3(国立駅南口から徒歩約7分・富士見通りをまっすぐ行って左側)

10時~11時・・・実践と話
11時~12時・・・お茶を、飲みながら歓談

費用1000円(終了後、お茶を飲まれる方は、プラス200円) 
(入会金はありません)

参加ご希望の方は、開催日の前日までにメールでご連絡ください。
アドレス kikinokai★kind.ocn.ne.jp (★を@に変えてお願いします)
メールには必ず返信します。もし返信がない場合には、受信トラブルかも知れませんので、直接会場にお越しください。

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太極拳の選び方

2020-03-07 07:31:18 | 太極拳
 数年前、銀座の某ギャラリーで抽象画を観て、おそらく初めて「いいな」と思った。それまでの私は抽象画を理解したり、味わったりすることができずにいた。在廊していた90歳を超えた作者にその旨を問うと、「好きか嫌いでいいんじゃないですか」という答えを頂いた。素人の私に対して簡単に答えてくれたのだろうが、確かにそういう観方も「あり」だ。
 
 太極拳は学ぶ目的の違いから三つに分類することができる。大会に出場することを目指す競技用太極拳。決められた姿勢をキッチリしようとする外形重視の太極拳である。実践太極拳は実際に戦うことを前提に練習していくもので、強さを求める太極拳。健康太極拳はまさに健康を目指したもの。私は健康太極拳を教えているが、ふつうの健康太極拳とは違い、「型」を重視せず「立ち方」を大事にしている。
 人は誰でも自分の学んでいるものが一番良いと思うものだ。私自身は、1993年に北京で太極拳を始めたときには「競技用太極拳」だった。入門者の私にとってそれはとても魅力的で、習っていて楽しいものだった。数年後、最後に陳式太極拳を教えてくれた先生は「実践太極拳」を専門としていたが、私は「型」しか教わらなかった。実践に興味がなかったわけではなかったが、踏み切れなかった。先生の実践的なテクニックとそれに裏打ちされた「型」は、何よりも美しかった。私は現在太極拳を「理想の立ち方を身につける」ことの手段の一つにしている。
 
 太極拳は年齢や出会い方によって、どの太極拳を学ぶのかが決まる。これから学びたい人は、それぞれ体験してみて、「好き嫌い」で選ぶのも良いのではないかと思っている。目的で選んだとしても、好きでなかったら長続きはしないだろうから。

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