キチンと「立つ」練習を通してからだが整うと、その人が「キラキラ」として来ることがある。立っている本人は自分でキラキラしようとしているのではなく、ただ力を抜いて、イメージ(普段と違う意識を持つ)をしているだけである。そのイメージは自分の存在を消して(薄めて)いく方向なのだが、かえってキラキラとして来るのである。普段は自我意識が強すぎるからキラキラしないとも言える。
ただ真っ直ぐに立つだけではキラキラしない。太極拳も形(動作)だけを真似しても上手くならないのと同様、外形の問題ではないからだ。それは「意識(イメージ)」の問題だからである。だからと言って意識だけを変えても、それに応じるからだがなければ変わらない。それにはからだを通した訓練がいる。
キラキラすると、整った本人はもちろん、観ている人もまた嬉しくなるのである(野口晴哉氏や金井省蒼先生は、人の「ピカピカ」がみたいと言われていた)。
ただ真っ直ぐに立つだけではキラキラしない。太極拳も形(動作)だけを真似しても上手くならないのと同様、外形の問題ではないからだ。それは「意識(イメージ)」の問題だからである。だからと言って意識だけを変えても、それに応じるからだがなければ変わらない。それにはからだを通した訓練がいる。
キラキラすると、整った本人はもちろん、観ている人もまた嬉しくなるのである(野口晴哉氏や金井省蒼先生は、人の「ピカピカ」がみたいと言われていた)。