気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

キラキラ

2018-03-25 07:42:43 | 「立つ」健康法
 キチンと「立つ」練習を通してからだが整うと、その人が「キラキラ」として来ることがある。立っている本人は自分でキラキラしようとしているのではなく、ただ力を抜いて、イメージ(普段と違う意識を持つ)をしているだけである。そのイメージは自分の存在を消して(薄めて)いく方向なのだが、かえってキラキラとして来るのである。普段は自我意識が強すぎるからキラキラしないとも言える。
 ただ真っ直ぐに立つだけではキラキラしない。太極拳も形(動作)だけを真似しても上手くならないのと同様、外形の問題ではないからだ。それは「意識(イメージ)」の問題だからである。だからと言って意識だけを変えても、それに応じるからだがなければ変わらない。それにはからだを通した訓練がいる。
 キラキラすると、整った本人はもちろん、観ている人もまた嬉しくなるのである(野口晴哉氏や金井省蒼先生は、人の「ピカピカ」がみたいと言われていた)。

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言葉でなく、姿勢を歪ませてうったえる

2018-03-18 15:31:05 | 「立つ」健康法
 心に何か問題があると、それは姿勢に現れる。以前中学時代の写真を見たら、姿勢の悪い自分が写っていた。小学生の時にはなくて、中学生になってから悪くなったのである。以前にもブログに書いたように、私は中学の時に某野球チームに所属していたのだが、そこでずいぶんと悩んでいた。原因は、監督の怖さや練習の厳しい雰囲気が合わなかったこと、また主将を交代させられたことや野球が下手で自信が持てなかったことなど。そんなに嫌なら辞めればよかったのだが、頑張ってしまった。しかしその代償としてからだが歪んだ。
 私には子がないが、子育てをしている人は、子供の姿勢を見て、身心の状態をチェックしたら良いかと思う。少しでも歪んで来たら、何か無理しているのかも知れない。言葉には出さなくても、からだには必ず現れるのだから。
 もし、あの中学生の時の自分に今、声を掛けられるとしたら、「やめてもいいんだよ」と言うだろう。からだを歪めてまでやる必要などないと思うからだ。
 しかしこれがもし、辛くても仕事や何かで辞めることのできない社会人の自分に声を掛けるとしたら、キチンと「立つ」ことを勧める。キチンと立つと、身心が整う。少なくともその時だけは良くなるのである。たとえ短くてもそういう時間を持つことは大事なことである。そこには普段(比較・分別・競争…)とは違う価値観があり、安心して自分を取り戻すことができるのだ。悩みが解決するか否かよりも、自分らしくいることの方が大事なことである。
 

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2018年 桂川(山梨)渓流釣り 解禁

2018-03-02 13:11:39 | 渓流・鮎釣り
 昨日は「桂川」の解禁日。例年のように電車と徒歩で沢へ向かう。最初の沢には車が停車してあり、釣り人の姿が…。こういうことは時々あるので次の沢へ。幸いそこには車がなかったので入渓。しかしまだ先行者がいないとは限らない。アタリが何度かあればだいたい大丈夫である。
 沢釣りの仕掛けは、4メートル程度の竿に、0.4号の糸を1.5~2メートル程度。がん玉はBか2B。針は7号くらいで餌はミミズ。
 岩魚のアタリは山女と比べて遅い。もそっとした感じで一気に走ることはあまりない。「合わせ」を早くすると、掛からずに抜けてしまうことが多いから、糸を軽く張ったまま暫く待つようにしている。
 写真の岩魚は小さなポイントから出て来た。岩魚の場合、ポイントの大きさと魚の大きさが比例しないことが多い。過去の実績などの先入観を持たず、取りあえずどんなポイントでも餌を入れてみるのがいい。人の思惑を超えた処に住んでいる魚を釣りに行っているのだから…3匹釣れたのでそれより上に行く気にはならず、戻ることにした。
 本流も相当濁っていたが、竿を出してみた。流れの緩い処や、脇の溜まっている処を狙ってみたが、まったく反応なし。放流場所に行った人たちは釣れたのだろうか。




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