気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

もうひとつの世界

2018-11-25 06:21:51 | 「立つ」健康法
 新聞やニュースで自死の話を聞くと残念な思いがする。今観ている世界の外に別の世界があることを知っていれば、少しは違ったのではないかと…
 私は「立つ」練習を通して「もう一つの世界」があることを知った。こう書くと霊界など別次元の話だと思われるかも知れないが、そうではない。今とまったく同じ環境に居ながら、観え方が違って来るということである。意識や感受性が変わることによって物事が違って観えることは不思議なことではない。先入観をもたず、アタマを柔らかくして、意識とからだを整えて行く。私程度のレベルでもそう成れるのだから、誰でもできる。
 私の「立つ」方法は悩みを解決するものではないが、キチンと立つことで、今現在の自分が「これでよい」と肯定できるのである。それは社会での評価や能力のレベルとはまったく関係がなく、ただ意識とからだをニュートラルにしていくことで得られるのである。時にこういうニュートラルな状態、自分らしい状態を取り戻すことは大事なことである。
 
 関心のある方は、「気気の会」にご参加ください。

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灰色の北京

2018-11-17 09:48:20 | 中国
 
北京の記憶の断片は
灰色をしている
大学の門 壁 宿舎 
毛沢東像 水餃子 腐った水の流れる川
建国門 前門 和平門 
灰色の外に付けられる色が見つからない

練炭は倉庫の中で黒く積まれ 
自転車は喧騒の中を黒く走り
夜空が降りて地面を黒く照らす


私の好きだった北京は 灰色と黒色の間にある
墨だけで描ける世界は まだ幸せなのかも知れない


 


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ノックはなくても

2018-11-10 10:07:58 | 「立つ」健康法
 高校の野球部時代、「個人ノック」なるものがあった。先生(監督)のノックを一人でずっと受け続ける守備練習である。始めは元気にボールを追っていても、左右にボールを転がされると、次第に疲れて動けなくなる。この練習の目的は、忍耐力を鍛えることもあるが、苦しくなると、からだを要領良く動かすようになり、捕る姿勢が良い形になることにある。
 しかし私はそれよりもその練習によって「意識の変化」が起こることの方に意味があると思っていた。一番大きな意識の変化は、先生(監督)に対する恐怖や服従する感がうすくなることだった。
 現在の私は「意識の変化」をもたらすのに、肉体を痛めつけるような厳しい練習を必要としていない。意識とからだをキチンと使って「立て」ば、意識の変化は起こるのである。身心を痛め、鍛えることでしか道に到達しないという考えを持っていることが、何よりそこへ行くことを阻害している。

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観えない丹田

2018-11-03 09:27:35 | 「立つ」健康法
 からだはいつだって意欲的である。みぞおち(鳩尾)を弛めれば丹田に力が入いる(みぞおちを弛めるのは、社会生活の中でためてしまった緊張やストレスを取るためである)。具体的な目標や夢などなくても、丹田が充実している人を意欲的な人だと私は考える。たとえ何かに向かって努力をしていても丹田が無ければ、それは表面的な(アタマだけの)意欲である。丹田が満ちていれば、いずれ何かをする、いや、「したくなる」のである。
 現代社会は、能力を数値化・言語化して、決められた価値の中に収まるものを評価する。スポーツや健康の基準も同様である。
 丹田は現代の基準には収まらないものだが、私は自分の健康を測るとき、健康診断よりもはるかに信用している。

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