荘子に次のような一文がある。
「其息深深 眞人之息以踵 衆人之息以喉」…その息が深々としているのは、真人(道を感得した人)は呼吸を踵でしているからだ。普通の人は呼吸を喉でしている。
深い呼吸といえば、腹式呼吸だと思う人も多いだろう。ではなぜここでは「腹」ではなく「踵」なのか。
それはキチンと立てばわかる。息をじっくりと感じてみれば、吸う息と吐く息では筋肉の様子が変わることに気がつく。全身が呼吸に合わせて動いているのがわかる。しかしそれはただ立っているだけではわからない。「意識」の在り方が関係しているのだ。
荘子の唱える「斉物」は、万物を同じように観る思想である。地面や植物なども一緒(自分とつながっているの)だと考える。肉体だけを自分だと思うのと、周りも自分(と同じ)だと思うのとでは、立ち方が変わってくる。荘子のそういう万物斉同の「意識」が、からだを変え、踵での呼吸を実現させた。
物語の中の荘子が、人に観えてきた。
「其息深深 眞人之息以踵 衆人之息以喉」…その息が深々としているのは、真人(道を感得した人)は呼吸を踵でしているからだ。普通の人は呼吸を喉でしている。
深い呼吸といえば、腹式呼吸だと思う人も多いだろう。ではなぜここでは「腹」ではなく「踵」なのか。
それはキチンと立てばわかる。息をじっくりと感じてみれば、吸う息と吐く息では筋肉の様子が変わることに気がつく。全身が呼吸に合わせて動いているのがわかる。しかしそれはただ立っているだけではわからない。「意識」の在り方が関係しているのだ。
荘子の唱える「斉物」は、万物を同じように観る思想である。地面や植物なども一緒(自分とつながっているの)だと考える。肉体だけを自分だと思うのと、周りも自分(と同じ)だと思うのとでは、立ち方が変わってくる。荘子のそういう万物斉同の「意識」が、からだを変え、踵での呼吸を実現させた。
物語の中の荘子が、人に観えてきた。