気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

講師を捨てる権力

2017-11-26 10:16:53 | 
 もう14、5年前のことである。八王子(東京)にある某文化センターで気功を教えていた。ある日センターで一番権力のある人から「来週から教室の場所を(大きくて鏡のある部屋から小さい部屋に)変更してほしい」と言われた。別の講座を入れたいから…とのこと。あまりに突然なことで驚いた。条件が悪いので断った。すると私の講座の参加人数が少ないから変わるようにと、半強制的に言った。私は教室の変更はできない旨を伝え、そこでの仕事を辞めることにした。生徒には未受講分の月謝を返金させた。生徒はその後別の教室に参加してくれることになった。
 誰もが知っている名を冠した文化センターだから、講師や生徒は集まるだろう(私は紹介で講座を持った)。しかしだからと言って集客できない講師を使い捨てにするようなことをしていれば、そういう雰囲気や評判は伝わり、良い指導者は来なくなるだろう。
 人は権力を持つからオカシクなるのか、オカシイ人が権力を持つのか。いずれにしても権力には近づかない方が気持ち良く生きられそうだ。

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太極拳という言葉

2017-11-20 08:35:33 | 太極拳
 先日縁あってカナダの人と会った(厦門大学留学時の中国の友人には日本人のご主人がいて、そのお姉様のご主人)。その人とお姉様(その人から見れば奥様)は、1984年に北京体育学院の夏の短期留学で出会い、その後山東省の大学に留学されたという。私は1990年に北京体育学院に留学したのだから、その6年前である。共通する話題も多く楽しかった。部屋の中で陳式太極拳や気功を一緒にすると、多少形が違っていても親近感が湧く。そう、太極拳という言葉で話をしているのだ。形を観ればその人が太極拳をどう理解して、太極拳に何を求めているのかが分かる。
 思えば今までも、ギターや野球という言葉で仲間と話をしてきた。言語に依らない言葉を使えば、相手をより深く理解することができる。

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「ぽかん」を目指さない

2017-11-10 09:10:33 | 野口整体
 活元運動の準備段階で「ぽかんとする」といわれるが、「ぽかん」を目指すことが返って「ぽかん」と成れない原因になっている。気功の「雑念を排除する」も、排除しようとすればするほどできなくなるのである。野口整体の「ぽかん」は禅でいう無や無心と同じで、まったく何もないことではなく「すべてある」ことである。あっても執着しなければ良いのである。よく、目を開けると雑念が多くなると誤解している人がいるが、そうではない。目を開けてすべてを同じように(執着せずに)観ればいい。目の前にあるもの一つ一つを同じ価値で観ていくようにする。好き嫌い・美醜・損得などの基準で差別しない。そう自分に言い聞かせるようにしていくと次第にからだが変わってくる。脳も休まっていく。それが「ぽかん」である。

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高校時代の野球⑦

2017-11-02 08:13:55 | 野球
 中学・高校での野球は「好きか嫌い」で答えられる対象ではなかった。野球の中にどっぷりと浸かる一方で、感情を抑圧して過ごしていた。学業や遊びなど他の世界に目を向ける余裕があれば、少しは違っていたのかも知れないが。

 前に監督と選手の関係を国家と民の関係にたとえたが、親子の関係にも似ている。躾も野球指導も体罰は必要ではない。指導はすべて言葉でできる。その言葉の前には相手(生命と言ってもいい)に対する「思い(尊重・愛情)」がなければならない。そうすれば指導者は生徒(選手)一人ひとりを平等に扱うことができる。
 監督と選手の関係は「親離れ子離れ」した親子のように、互いに大人として接するのが理想である。指導者は選手の間違いや危ういことをすぐに正すのではなく、選手が自分の力で考え、行動することを「待つ」ことだ。それが実現できないのは、選手が子供過ぎることも要因だが、監督が権力を持ちすぎていることも大きい。もし監督が自らの野心を実現するためにその地位についているとしたならば、選手は自立性を奪われて単なる駒のひとつになってしまうだろう。

 私は性格的に「自由」を何よりも第一に考える人間である。自分の自由を奪う環境には激しく抵抗する。中学・高校で経験したことは、図らずも自分を知ることに大いに役立った。今回ここに書いてきた一連の文章は、自由を愛する性格の一個人が思ったことである。
 最後に、同じ地面の上に仲間たちがいてよかった。思想に出会う前に。  【終わり】

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