指導者は体育の先生(監督)と、もう1人コーチがいた。このコーチは土佐高校で甲子園に行った経験のある人である。周りの1年生はこのコーチのことを陰険で、厳しいと嫌っていたが、私はそう思わなかった。なぜならコーチは、私たち「新入り」にも技術を教えてくれたからだ。ある日、皆の練習が終わった後、私ともう1人(入学式後に入った仲間)だけ残って練習をしたことがあった。コーチは、内野手としてのボールの投げ方を教えてくれた。捕球したら、ボールを素早く耳の処に持っていき、肘から先だけを使って投げる。この一連の動作を二人でずっと練習した。練習後、体育教官室に挨拶にいくと、コーチはモツを焼いていた。そのモツを私たちの手にのせた。旨かったことよりもコーチの気持のようなものが伝わってきて、何とも言えない嬉しさがあった。
コーチは自分のことは語らないから、何を考えているのか分からないところがあって、皆から誤解されていたのだ。しかし私にとっては、野球で入って来た選手やレギュラー選手を特別扱いしない、平等な人だった。
その後、ある問題が起きて、コーチが辞める(辞めさせられる)ことになった(私は今でもコーチは悪くないと思っている)。最後に皆の前でこう言った。
「甲子園に行けるかどうかは、お前らがどれだけやったかどうかだ」。
厳しくもあるが、なんて希望のある言葉なんだろう!練習をやれば「行ける」のだ。甲子園が初めて眼の前に見えた。
コーチは自分のことは語らないから、何を考えているのか分からないところがあって、皆から誤解されていたのだ。しかし私にとっては、野球で入って来た選手やレギュラー選手を特別扱いしない、平等な人だった。
その後、ある問題が起きて、コーチが辞める(辞めさせられる)ことになった(私は今でもコーチは悪くないと思っている)。最後に皆の前でこう言った。
「甲子園に行けるかどうかは、お前らがどれだけやったかどうかだ」。
厳しくもあるが、なんて希望のある言葉なんだろう!練習をやれば「行ける」のだ。甲子園が初めて眼の前に見えた。