『自信』は錯覚です。『自信が有る』というのも、『自信が無い』というのも、どちらも錯覚です。自分でそう思い込んでいるだけです。
自信の有る無しにこだわるのでなく、もっと大きなところを目指したい。
『自信』は錯覚です。『自信が有る』というのも、『自信が無い』というのも、どちらも錯覚です。自分でそう思い込んでいるだけです。
自信の有る無しにこだわるのでなく、もっと大きなところを目指したい。
プロフェッショナルには、自分の技術をすべて公開してほしい。芸術でも、スポーツでも、職人でも、料理人でも・・・
全部見せても誰も真似することができないから、真のプロフェッショナルなのではなかろうか。
95パーセント真似されたって、良いではありませんか。その5パーセントがプロと、アマを分けているのですから。
この瞬間にも、カラダの深い処から、何かが湧いて来ている。欲求であったり、想いであったり・・・それは湧き水の一滴のように小さいかもしれないが、その力は知識の数万倍も強くて、魅力的だ。何も無い処から生まれるのだから、スゴイです。実はこの何も無いというのは、本当に何も無いのではなくて、何でもあるのです。何もかも含んでいます。その話はまた何時か・・・
神と人の関係は、対立する上下関係ではなく、大の中に小が含まれる大小関係だと考えています。大である神の中に、小である人がいます。人の中には悪やずるさや、汚さがありますから、神はそういうものも含んでいると言えます。これによって神の神聖さが損なわれるのではなく、すべてを包み込む懐の大きさを感じます。
『清濁併せ呑む』という言葉がありますが、『清』だけが存在することはありません。自分の中にある『清』と『濁』を認識し、そのバランスをとることが大事だと考えています。
何故 頼ろうとするのか?
何に 頼ろうとするのか?
自らの力を 否定するのか?
気持ちの良い場所は 確かにあるだろう
気の強い人は 確かにいるだろう
何故 己の中にある気を高めようとしないのか
今は小さいかもしれない その気の力を