気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

魚は釣らなくてもヨイ

2007-02-28 22:24:32 | 気気

 子供の頃、よく父に連れられて川へ釣りに行きました。フナやクチボソといった小魚を、ミミズで釣りました。父と行くと大体5~10匹位は釣れるのですが、自分ひとりで行くと、釣れないこともありました。一匹も釣れないとツマラナイ感じが少しはありますが、それでもそんなに残念ではないのです。川に行って腰掛けて、川の流れを見て、ウキの上下するのを眺めているだけでも満足するところがあるのです。ココロのなかの『何か』が満たされるのです。本当に釣りたければ、「釣り堀」にでも行くほうが確実なのです。しかしそれではツマラナイのです。魚を釣り上げることが最終目標ではなかったのです。

 気気は「ただ手をあてること」をして「気を下げる」ことを目指します。結果としてそうなることもありますし、ならないこともあります。スッキリして気持ちよくなることもありますし、そうならないこともあるのです。魚も釣れることもあるし、釣れないこともあるのです。それでもまた釣りに出かけてしまうのです。結果の良し悪しにとらわれず、ココロとからだの求めている『何か』を実践していくのが気気なのです。


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「形」にある力

2007-02-26 22:24:11 | 気気

 私が小学生のころ、クラスの中でケンカがあると、先生がその二人を呼んで、仲直りの握手をさせることがありました。今思うとあれは結構良い方法だと思います。握手は好意や友好を表している「形」です。その「形」を先に作ってしまおうということです。こころの中ではまだ相手のことを「憎たらしいヤツ」と思っていても、「形」をとることで、こころが後からついて来るのです。握手でなくても、一緒にボール遊びをしているうちに、自然に仲直りしていることもよくありました。

 握手やボール遊びに、仲良くなる『何か』があるように、気気には気が下がる『何か』があるのです。


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気気の人付き合い

2007-02-24 22:37:40 | 気気

 人は「刺激」を欲しがる生き物だと思います。いつでも何か楽しいことは無いかと探しています。なんとなくテレビを見たり、美味しいものを食べたいと思うのも刺激を求めているのだと思います。博打やお酒などは大きな刺激ではありますが、あんまりのめり込むと後が大変です。

 私にとって一番大きな刺激は『人』です。人は誰一人として同じ人はいませんし、同じ人でも日によって変わりますから。しかし人付き合いは良いことばかりはありません。わずらわしいこともありますし、騙されたり、いじめられたりしてイヤな目に遭えば不信感も出てきます。それでも最後は人が好きなのですね。人と触れ合いたいと思うのです。 

 気気は人の交流の仕方としては地味に見えます。スポーツや芸術などのサークル活動などの方が、仲間同士が深い付き合いができそうな気がします。そういう付き合いも良いものです。気気の付き合いは一見、サラッとしていて浅いものに見えますので、物足りないように思うかも知れません。しかしそれだけでない「何か」があります。その「何か」を口で言うと、「気のレベルの付き合い」ということになるのでしょうが、とにかく皆さんは「気」がどうのこうのというよりも、気持ちが良いから参加してくれるのだと思います。これで十分です。


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『気気』の名の由来

2007-02-23 20:24:46 | 気気

 火曜日の夜にパソコンが起動しなくなるというトラブルが起きました。自分では治せず、どうしようかと思っているときに、知人が急きょ駆けつけてくれて、治してくれました。パソコン素人の私にとっては有難いことでした。

 『気気』という名前の由来についてお話します。「気気」と「気」が二つありますが、これは相手の「気」と自分の「気」が交流するという意味です。日常でも人と人は交流をしていますが、表面的な付き合いが多いものです。仕事上の付き合い、近所付き合い、親戚付き合い・・・夫婦や恋人同志は深い付き合いと言えますが、気のレベルでの付き合いではありません。私の考える気のレベルの付き合いというのは、愛情さえも超えたレベルの付き合いです。好き嫌いや利害損得などの相対的な考え方ではない世界です。実際にはそのレベルに到達するのは無理かも知れません。それを目指しているのが気気なのです。「ただ手をあてる、ただ手をうける、結果は気にしない」を目指すのが気気ですから。

 誤解され易いのですが、私は表面的な付き合いを否定しているわけではありませんし、愛情のある付き合いを下に見ているわけではありません。ただ、それだけ(比較・分別)の世界に居ると、時にアタマデッカチになったり、息苦しくなったりするのです。ですから時には、私たちを生かしてくれている気にチューニングを合わせてみたいと思うのです。「気気」の一つの「気」は、万物を生かしているハタラキ、それに自分の「気」を合わせるという意味もあります。


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自然に自分らしくなる

2007-02-20 20:41:48 | 気気

  自分の性格が嫌いだと思っている人もいるでしょう。また、自分を変えたいと思っている人もいるでしょう。努力して自分を変えていくことは大変なことです。気気は一気に自分を変えることができます。気気をしているときには、悪い自分の現れようがないのです。意地悪な気持ちが出てこないのです。また他人の喜びを素直に自分の喜びにできます。普段は他人の成功を羨んだり、喜びに共感できないことがあっても、気気のときには自然にそうなれます。変えようと思わなくても自然に変わってしまうのが気気なのです。自分らしくなる方向に変わって行きます。

 しかし気気の効用は長持ちしません。気気をしているときだけがそうなれるのです。気気をしているときのこころとからだの使い方が自分を創っているのですから。


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