気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

初参加の人

2017-06-24 08:41:06 | 「立つ」健康法
 太極拳の教室は毎週あるので、およそ決まった生徒たちが通ってきてくれるのだが、月に1回の「立つ会」は、参加者は未定である。続けて参加してくれる人もいるが、1回きりの人もいる。時々新しい人が参加してくれるが、嬉しいことである。数年前までは、「気気」という野口整体の愉気法に近いことをしていたから、それを求めて来ている人が多かった。現在は私の創った「立ち方を身に付ける会」に興味を持っている人だけが参加してくれるので、尚更嬉しいのである。
 初めて参加する人は、勇気がいると思う。無名の人間がやっている、初めての内容のものを試すわけなのだから。世間の基準にとらわれず、キチンと自分の判断で行動できる人なのだろう。私もそれに応えたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「SQUALL」の声

2017-06-18 13:02:42 | 音楽
 特に松田聖子のファンという訳ではないが、「瞳はダイアモンド」「SWEET MEMORIES」などの曲は、たまにギターで弾き語りする。中学の時に友人が、ファーストアルバムとセカンドアルバムのレコードをカセットテープに録音してくれたので、よく聴いた。テープがなくなってからは、CDを聴いた。デビュー曲の「裸足の季節」には、声量と力強さがあるが、私が松田聖子の「声」で一番気に入っているのは「風立ちぬ」でも「制服」でもなく、「SQUALL」の冒頭である。

「 I wish shining days いつも夢に見ていたのです  I wish shining eyes めぐり逢える 素敵な瞳」

 抑え気味に歌われ、キーにも余裕があるから「落ち着き」を感じる。感情を現わしたり、歌いあげるのも悪くはないが、比較的この場所は淡々と歌われているのがいい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「立つ」という整体

2017-06-09 15:35:52 | 「立つ」健康法
 野口整体を習っていた頃、二人組になって、互いに整え合う練習をした。背骨の観察から始まって、うつ伏せになって整体をする。違和感のある処に愉気をしたり、指を当てたり、押さえたりする。程度の差はあるものの、結果として、身心は整った。
 今、私は「キチンと立つ」ことだけをしている。それでもからだは充分整う。以前、整体の練習をしていた時と同じか、それ以上に。私だけではなく、誰でも「キチント立つ」ことができれば、他人の力を借りずに自身で整えることができる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足の裏がピッタリ付いた後

2017-06-04 07:56:07 | 「立つ」健康法
 教室で「立つ」練習をしているときに、別の教室の二人の生徒から同じ感想を言われた。
 「足の裏が床にピッタリと付くようになりました」と。
 それは素晴らしいことだが、まだそれは第一段階である。もっとレベルが上れば、床全体が自分の足のようになる(足が大きくなって安定感が増す感じ)。更にレベルが上ると、足の裏が(良い意味で)自覚できなくなる。それはおそらく肉体への執着が薄くなり、他者(普段は自分以外と考えているもの・例えば壁・天井・空気・他人)と自分が近く感じるからである。水中に立つと、からだを水に支えられているような感じがするが、空中でも同様に感じる。
 足の裏がピッタリ付くことは嬉しいことかも知れないが、そこで満足しないことだ。進歩が止まってしまうのは、「それでよい」という思い込みである。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする