気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

気は想像に負ける

2007-08-28 20:03:58 | 気気

 時に『気(無分別・神・自然・・・)』は『想像力(アタマ・言葉・・・)』に負けます。『想像力』は『気』よりも強い。だから平気で死んだり、人をいじめたり、殺してしまうのです。

 実際は、目玉焼きの黄身(分別)は大きくなっても、白身(無分別)を超えて大きくなることはありません。しかし本人にとっては、黄身が白身以上になったと錯覚してしまうのです。白身の存在を忘れてしまうのです。バランスが崩れます。

 気気は白身を思い出す手段です。


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手をあてずにいられない

2007-08-21 20:34:26 | 気気

 仮に神様がいるとしたら、その神様はお賽銭やお布施の多少や、信仰心の深さなどで、その人に対する態度を変えることはないだろう。神が何よりも大きな存在であるならば、その性質は必ずや『無分別』であるはずで、自分にとってカワイゲのある人物だけを特別扱いすることはありません。自然も然り。昔から祭祀をしても天災が無くなることはありませんでした。

 にもかかわらず、人は祈りました。科学が進歩して、迷信や神話が否定された現代においても、人は祈っています・・・。何のために?

 祈って変わることがなくても、『祈らずにいられない』のです。

  気気の会で手をあてることは、本当は先にそういう形(行為)が有ったのではなく、誰にも教わらなくても、からだの内側から湧いてくる想いに従えばそうなるものと、思いたい。(「思いたい」と言ったのは、私の場合は野口整体を学びましたから、『愉気』という形から入りましたので)。『手をあてずにいられない』ということです。『手をあてずにいられない』というと少しガツガツしたカンジがありますが、『自然に手をあてたくなる』ということです。


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イマジンの前に

2007-08-19 20:56:58 | 気気

 久しぶりに書きます。実は8月9日にパソコンが壊れまして、先程(8月19日)、修理から戻ったところです。この期間中にホームページやブログを見てくれた方々には、新しい記事を提供することができずに、申し訳ありませんでした。

 さて、ご存知のようにジョン・レノンは名曲イマジンの中で、『想像してごらん 天国は無い ただ空があるだけ・・・(キヨシロー訳)』と歌っています。相手が想像できる人ならば良いのですが、そうとは限りません。最近は想像力の欠如している人が多い気がします。公共マナーを守れない人や、いじめをする人は、相手のことを考える想像力が無いと言えるのではないでしょうか。だからと言って、そういう人に対して『想像力を持て』というのは無理があります。

 気気は想像力が欠けていてもできます。手を相手の背中にあてるだけですから。結果として想像力が芽生えることもあります。


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人のアタマでは『わからない』

2007-08-07 20:57:31 | 気気

 『わからない』からいい加減に過ごすのではなく、『わからない』から謙虚になります。

 『わからない』ことを錯覚して『わかっている』と思い込むことを、傲慢というのでしょう。

『わからない』から何もしないのではなく、わからないその『ハタラキ』に対して『預けてしまう』のはどうでしょう。『わからないハタラキ』が何かをしてくれます。そこには人間的打算が一切ありませんし、結果がどうなるか、『ハタラキ』自身もわからないのです。

 時には人の脳みそを過剰に評価せず、『わからないモノ』に預けてしまうのは如何でしょうか。


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ゼロ≠0

2007-08-03 10:23:37 | 気気

 気気は自分をゼロの状態に戻そうとすることです。自分を縛っている思い込みや先入観、筋肉の余分な緊張などを極力削ぎ落とし、ゼロに近づくことです。ゼロに近づくと、歌を唄いたくなるかも知れません。踊りたくなるかも知れません。ゼロから何かが生まれます。

 しかしゼロと言っても全く何も無いのではありません。タネのように、いのちが詰まっています。タネから芽が出ます。


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