今日、一匹も釣れなかったからなのか、北京での釣りを想い出した。
1992年頃、北京に留学中の私は自転車で10分程の「円明園(清の時代、西太后が離宮としていたところ)」で釣りをした。「福海」という大きな池で、糸を垂らしてみるが全く釣れない。そろそろ帰ろうかと思っていたら、近くにいた釣り人(中国人のおじさん)が見かねた?のか、「これでやってごらん」と言って自分の餌をくれた。その餌は、赤虫を大きくしたような感じ(ミミズよりは小さい)で、乾燥していてツルツル・ピカピカしていた。こんなもんで釣れるのか、半信半疑だったが、やってみると直ぐ釣れた。私のココロは踊り、おじさんに礼を言った。その魚は、鮒に似ていたが、日本の物よりは細身だった。
「福海」の池のほとりには、西太后がそれを眺めるための特別な場所があった。その跡が残っていたはずだが、どんな様子だったか思い出せない。遠くに見える山と、池の水のバランスが「絶妙」な、そんな場所だった。西太后は大きな椅子に腰掛け、「福海」を眺めながら何を思っていたのだろうか。権力を欲すれば、水の中は観えないだろう。私が釣ったのは当時から自由に泳ぎ廻っていた魚の子孫かも知れない。