「甲子園」を目指していた学生にとって、大会が中止になるということは目標を失うことである。目標を失って残された高校野球生活をどのように過ごしていくのか、他人事ながら気になる。
人生に於いて、目標があると良く生きられる人がいる一方で、なくても自分らしく生きられる人もいる。人が何のために生きているのか、宗教家や哲学者などがいろいろ発言するが、絶対の答えはなく(誰も知り得ない)、いろいろな生き方があっていい。目標があろうとなかろうと現実の世界は刻一刻と眼の前に現れ、それをこなしていくことが先決なのだ。
「栄冠は君に輝く」の歌詞に「♪一球に 一打にかけて 青春の讃歌を綴れ♫」とあるが、甲子園という目標があろうとなかろうと、目の前にボールは一つしかない。一球に本気で気持を込めたとき、目標だけでなく甲子園も勝利もヒーローも友達もすべて消える。迷いがなく、とても静かな時空がある(実際に音がしないということではない)。それに気がつくことは、その後の人生を生きていく上で、とても大きな力になる。
老子は「無為を為せ」という。「人為的なことをせず、自然に任せる」ということである。甲子園がなくなり地方大会になれば(或いは地方大会がなくなれば)、否応なしに「無為」に近づく。最大の人為である「甲子園」という目標がないことで、かえって学生の一球にかける純度が高くなるのではないかと思っている。そんな期待をしてしまうのは、私だけだろうか。
人生に於いて、目標があると良く生きられる人がいる一方で、なくても自分らしく生きられる人もいる。人が何のために生きているのか、宗教家や哲学者などがいろいろ発言するが、絶対の答えはなく(誰も知り得ない)、いろいろな生き方があっていい。目標があろうとなかろうと現実の世界は刻一刻と眼の前に現れ、それをこなしていくことが先決なのだ。
「栄冠は君に輝く」の歌詞に「♪一球に 一打にかけて 青春の讃歌を綴れ♫」とあるが、甲子園という目標があろうとなかろうと、目の前にボールは一つしかない。一球に本気で気持を込めたとき、目標だけでなく甲子園も勝利もヒーローも友達もすべて消える。迷いがなく、とても静かな時空がある(実際に音がしないということではない)。それに気がつくことは、その後の人生を生きていく上で、とても大きな力になる。
老子は「無為を為せ」という。「人為的なことをせず、自然に任せる」ということである。甲子園がなくなり地方大会になれば(或いは地方大会がなくなれば)、否応なしに「無為」に近づく。最大の人為である「甲子園」という目標がないことで、かえって学生の一球にかける純度が高くなるのではないかと思っている。そんな期待をしてしまうのは、私だけだろうか。