20年くらい前に整体をしていたことがある。終わった後に整った身心を観ることは、仕事をした安堵感と共に喜びでもあった。現在、教室で「立つ」練習をして整った身体を観るとき、その喜びは整体をしていた頃よりも大きい。整体は整体師が手を触れることで直接的にかかわるが、「立つ」方はイメージで誘導する程度で間接的である。間接的ということは、本人が自分で力を発揮する余地を残してあるということ。自分で自分のからだにかかわってこそ、自身の力を信じられるようになる。整体はどうしても依存的になりがちで、良くなったとしても、それは整体師のおかげだと思ってしまう。^
からだが変わるということは、意識も変わることである。からだはよくなっても依存心が残るのであれば、まだ本当ではないのである。「立つ」ことを通して整った身心に依存心はなく、自然に近い。
からだが変わるということは、意識も変わることである。からだはよくなっても依存心が残るのであれば、まだ本当ではないのである。「立つ」ことを通して整った身心に依存心はなく、自然に近い。