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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「整体」と「立つ」

2020-09-26 06:49:34 | 「立つ」健康法
 20年くらい前に整体をしていたことがある。終わった後に整った身心を観ることは、仕事をした安堵感と共に喜びでもあった。現在、教室で「立つ」練習をして整った身体を観るとき、その喜びは整体をしていた頃よりも大きい。整体は整体師が手を触れることで直接的にかかわるが、「立つ」方はイメージで誘導する程度で間接的である。間接的ということは、本人が自分で力を発揮する余地を残してあるということ。自分で自分のからだにかかわってこそ、自身の力を信じられるようになる。整体はどうしても依存的になりがちで、良くなったとしても、それは整体師のおかげだと思ってしまう。^
 からだが変わるということは、意識も変わることである。からだはよくなっても依存心が残るのであれば、まだ本当ではないのである。「立つ」ことを通して整った身心に依存心はなく、自然に近い。

こころとからだの連絡

2020-09-19 10:53:19 | 「立つ」健康法
 こころの問題を解決するのに、からだを使えばよい。身心は一如であり、こころとからだはそれぞれ単独では存在せず、影響し合っている。こころに問題があるときには、からだからアプローチすることができる。
 身心は一如ではあるが、こころとからだの連絡がスムースな人と、そうでない人がいる。不安や悩みがあれば、それが違和感や痛みとしてからだの上に現れ、感じられるのが普通である。感じられれば対処することができる。しかし身心のつながりが鈍い人は、からだに現れた変化(徴)を感じ取ることができない。そのままでいると、ますますその場所は固くなり(麻痺して)、感じなくなる。こうしてこころとからだはどんどん離れていく。
 キチンと「立つ」練習は、こころとからだの連絡をスムースにする。こころの問題をキチント感じられるからだをつくる。こころの問題をからだから変えていく方法である。

 関心のある方は「気気の会」のホームページをご覧ください。

現状の身心に満足する

2020-09-05 09:13:58 | 「立つ」健康法
 人の欲には際限がなく、満足は続かない。欲は生命力の現れでもあり否定されるものではないが、追いかけ続けていると、身心のどこかに歪みが出るかも知れない。
 私は欲には2種類あると考えている。一つは普段私たちが使っている意味での欲。自分が~になりたい・~を見たい・~を食べたい・~へ行きたい…
これらは欲の対象が「外」にあり、それを刺激として自分のものにすることで「快」を得る。その欲を実現するためにはお金や条件が必要である。もう一つの欲は対象が「内(自分自身)」にあり、意識とからだを変えることで、現状の身心に満足することである。自分以外に「外」のものを必要としないから、無条件に誰でもその欲を実現できる。私がしている「キチンと立つ」ことは後者である。しかしこちらの欲は前者に比べてわかりづらく、普段の判断基準では大して意味のあるものには思えないのである。
 後者の欲は普段は隠れていて、それを得たときにわかるものである。この欲はさらに上を目指すことなく、今の自分に満足できる、自分を認めることのできる欲である。この欲の存在を知り、満たしていくことが、身心とキチンと付き合うことになる。