気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

トイレで遇った人

2010-10-29 15:37:22 | 

 楽天の次期監督が星野仙一氏に決まった。実は星野氏とはほんの一言だけ会話をしたことがある。私が通訳をしていた「呂明賜選手」がその年(1988年)オールスターゲーム(西宮球場)に選ばれた。試合前に、トイレで偶然星野氏(当時中日の監督)と一緒になった。星野氏はテレビで観るのと同じ、あの柔らかい表情で「君はどこの国の人かね?」と言った(一語一句までは憶えていないがニュアンスとしては、こういうカンジだった)。二十歳の私は星野氏に声をかけられて嬉しかった。通訳と言うのは、マネージャー、スコアラー、トレーナーや用具係りらと共に裏方である。こんな裏方に対しても興味を持つことのできる星野氏は、心が開いている人だと思った。


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黒い炎

2010-10-22 11:25:24 | 

 先日、陶芸家(信楽焼き)の弥延先生(小学生時の担任の先生)のところで、「釜焚き」を体験させていただいた。薪を手順良く燃焼させながら釜に入れるだけなのだが、難しい。諸先輩方のご指導の通りにやろうとするが上手くいかず、結局慣れる前に終わってしまった。それでも時間と火に追われる作業は自然と集中力が高まり、それが心地好く充実感が得られた。

 辺りは暗くなり釜焚きの最終盤、煙突が火を噴いた。モクモクと湧き出る黒煙の中心に赤黒い炎が天に伸びる。この色の炎は観たことが無い。蝋燭もキャンプファイヤーの炎も黒くはない。あえて近い色を探せば、それは須田国太郎の「窪八幡」、香月泰男の「朝陽」に描かれた「赤」だろうか。

 夕食時、先生の奥様がピアノを弾いてくださった。バッハの平均律・第一番・プレリュード。素晴らしかった。陶器が生まれるのと引き換えに、黒煙と炎が天に帰る。この時、これ以上相応しい歓送迎の音楽があるだろうか。


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「気気」は「海」

2010-10-16 13:29:16 | 気気

 中村雅俊に「海を抱きしめて」という歌がある。中学生の頃観ていたテレビドラマ「夕日が丘の総理大臣」のエンディングテーマに使われていた。一番の歌詞(作詞:山川啓介)を引用させて頂く。

 生まれて来なければ よかったなんて 心がつぶやく日は

 人ごみに背を向け 会いに行くのさ なつかしい海に

 幼な児よりも ひたむきに 遠い名前を叫んで

 汗ばむ心 潮風が 洗うにまかせれば

 いつのまにか 生きることが また好きになる ぼくだよ

 この歌の中の「海」の存在は、「気気」の存在と近い。悩んだときに「海」に来て静かに坐っていると、いつのまにかリセットされて、現実に向かう力が湧いてくる。悩み事を誰かに相談してアドバイスをもらわなくても、問題を理論的に解決しなくても、ただ「海」に来ればいい。気気も「ただ手をあてる」「ただ手をうける」、これでいい。


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「栄宝斎」の女性店員

2010-10-10 16:07:19 | 中国

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 これは斉白石(セイ ハクセキ・清朝末期~中華人民共和国の画家の掛け軸で、もちろん複製である。北京の「栄宝斎(書道具等を扱う老舗)」で買い求めた。当時(1992年頃)北京に留学していた私は、友人と一緒にバスと地下鉄を乗り継ぎ、「和平門」を下りてこの「瑠璃廠にやってきた。

 私は名字が「白石」なので、中国で自己紹介するときには、「斉白石の白石です」と言うことにしている。彼の描いた昆虫やお玉じゃくしの絵が気に入っている。

 さて「栄宝斎」には斉白石の原画が置いてあると本に書いてあったので、その旨店員に訊ねてみた。その女性が「観たいのか」と言うから、「観たい!」と言った。「こちらへおいで」と言うから着いて行くと、別室に案内された(わざわざ部屋の鍵を開けてくれた)。そこには初めて観る斉白石の原画が幾つも飾ってあり、その墨の生々しさに感動した。

 彼女は我々のためだけに鍵を開けてくれた。我々がそれを味わっている間も、話しかけることもなく、静かに見守ってくれた。日本から来た若造のわがままを、受け容れてくれる大きな懐の有る中国の女性だった。

 

 

 


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35年前のアケビは何処にある

2010-10-05 19:26:05 | 風景・自然

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小学2年生の頃の遠足で多摩川に行った。クラスメイトのS君が、植物の実をどこからか採取してきた。初めてアケビを観たときである。紫色の房が少し開き、中には半透明の実があり、種が透けている。S君は食べたことがあるらしく、この実は甘いと説明した。

 25年間アケビを忘れなかったのは、アケビについて「しなければならないこと」があったからだ。それは単にアケビを食べることではなく、S君のように山か川で自然のアケビを探し、それを食すことである。

 以来そういう機会があり、食した。また6年程前から自分でもアケビを育ててもいる。しかしどれも、S君の持っていたあのアケビとは似ていない。S君のアケビは、もっと黒みがかった紫で、房の中はもっと深くて暗かった。その味を想像することのできない神秘性があった。


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