北京に留学していた頃、中国人のY君が時々遊びに来た。彼はいつも、うつむき加減でボソボソと話をした。私の知る中国人の中で、一番声が小さい。中国語の教師をしていたが、上手く行かなかったようだ。
「彼の書は素晴らしい」と、彼を知る中国人から聞いた(中国人同士はあまり褒め合わないので、確かな情報だといえる)。彼にそのことを言うと、「書がかけても何にもならない」と言った。それは、恐らく「書がかけても良い仕事が見つかるわけではない」という意味だろう。
ある日、彼が「香山」に行こうと言った。「香山」は北京の郊外にある低い山で、紅葉の名所である。私の居た北京体育学院(現北京体育大学)から、自転車で1時間くらいかかる。香山に着くと、Y君はどんどんと前を歩いた。いつもの前かがみの姿勢では無い。腰が伸び、堂々と前を見据えて、歩いている。黙々と景色も観ずに進んで行く。私も遅れないように彼の背中に付いて行く。一心不乱に歩くことで、何かを吹っ切ろうとしているのか。いつの間にか彼は、歌を唄い出した。大きな声で。こんな大きな声が出せるとは、驚いた。彼の歌声は山の中へ、気持ち良く響いていた。
「そろそろ帰ろうよ」と言わなければ、彼はもっと前に進んでいたに違いない。終わりを予感させない足取りと、歌声だった。Y君の背が伸びたのも、歌を聴いたのもその時だけで、翌日には再び元の彼に戻った。あの時、もう少し彼に付き合えれば良かったと、いま思っている。