Lちゃんとの1ヶ月におよぶ旅は、「麗江」を最終地として帰路についた。本当は西蔵(チベット)にも行きたかったが、装備が足りず、諦めることにした(二人共冬用のジャケットは無く、私はサンダルで旅をしていた)。
「上海→厦門」の汽車は、れいによって寝台は取れず、覚悟して「硬座(座席)」に乗った。始めは柔らかく感じる椅子も、数時間も座り続ければ「石」と化し、尻が痛くてとても眠れない。車両は人と物で混雑し、通路にも人が座り(寝て)、トイレの往復も大変だ。トイレと言えば、Lちゃんはこの汽車に乗っている30数時間、一度もトイレに行かなかったのだ。本人は「鉄の膀胱だ!」と豪語していたが、尻は痛かったらしく、背もたれに腰掛けて足をブラブラさせていた。
私たちの旅は、知的好奇心を満たす為ではなく、もっと原始的な欲求・・・「ただ楽しみたい」「どこまで行けるか、試してみよう」という稚拙なものだった。稚拙ではあるが、無邪気で純粋なものだった。無知であるが故に、期待が有り、出会うもの全てを刺激的に受け止めた。
あれから26年、中国について多少の知識と経験を得た。しかしそれはとってもチッポケなものであり、本当は何も解ってはいない。今後、再び中国を旅することがあるのなら、先入観を削ぎ落とし、虚心に「中国」と向き合おうと思う。そうしなければ、日本から来た礼儀知らずの若僧を、受け入れてくれたその「懐(ふところ)」を感じることはできないだろう。
さて、汽車が厦門に到着する数時間前に、「潮」の匂いがして来た。車窓に「海」が映らなくとも、私たちは故郷に帰って来たことを知った。ー完ー
先日、Lちゃんが土産に納豆を持ってきてくれた(私の納豆好きを知っているので)。筑波山を6時間歩いて帰宅した後に、自転車で届けてくれた。タフな男である。『今は、あの頃よりも若い(BOB DYLANの「My Back Pages」にそんなような歌詞がある)』。
話がそれた。それは「だるま納豆」といい、小粒で粘り気がある。
昔ながらの藁に包まれていて、試しにそのまま(かき回さずに)食べてみると、豆の味が良くして、美味しかった。