気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

1987年の中国旅行を、もう一度味わう⑨

2013-05-30 15:21:55 | 中国

 Lちゃんとの1ヶ月におよぶ旅は、「麗江」を最終地として帰路についた。本当は西蔵(チベット)にも行きたかったが、装備が足りず、諦めることにした(二人共冬用のジャケットは無く、私はサンダルで旅をしていた)。

 「上海→厦門」の汽車は、れいによって寝台は取れず、覚悟して「硬座(座席)」に乗った。始めは柔らかく感じる椅子も、数時間も座り続ければ「石」と化し、尻が痛くてとても眠れない。車両は人と物で混雑し、通路にも人が座り(寝て)、トイレの往復も大変だ。トイレと言えば、Lちゃんはこの汽車に乗っている30数時間、一度もトイレに行かなかったのだ。本人は「鉄の膀胱だ!」と豪語していたが、尻は痛かったらしく、背もたれに腰掛けて足をブラブラさせていた。

 私たちの旅は、知的好奇心を満たす為ではなく、もっと原始的な欲求・・・「ただ楽しみたい」「どこまで行けるか、試してみよう」という稚拙なものだった。稚拙ではあるが、無邪気で純粋なものだった。無知であるが故に、期待が有り、出会うもの全てを刺激的に受け止めた。

 あれから26年、中国について多少の知識と経験を得た。しかしそれはとってもチッポケなものであり、本当は何も解ってはいない。今後、再び中国を旅することがあるのなら、先入観を削ぎ落とし、虚心に「中国」と向き合おうと思う。そうしなければ、日本から来た礼儀知らずの若僧を、受け入れてくれたその「懐(ふところ)」を感じることはできないだろう。

 

 さて、汽車が厦門に到着する数時間前に、「潮」の匂いがして来た。車窓に「海」が映らなくとも、私たちは故郷に帰って来たことを知った。ー完ー

 

 先日、Lちゃんが土産に納豆を持ってきてくれた(私の納豆好きを知っているので)。筑波山を6時間歩いて帰宅した後に、自転車で届けてくれた。タフな男である。『今は、あの頃よりも若い(BOB DYLANの「My Back Pages」にそんなような歌詞がある)』。

 話がそれた。それは「だるま納豆」といい、小粒で粘り気がある。

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 昔ながらの藁に包まれていて、試しにそのまま(かき回さずに)食べてみると、豆の味が良くして、美味しかった。

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整体よりも大事なもの

2013-05-23 11:37:15 | 野口整体

 私には大酒飲みの友人が何人かいる(内二人は痛風)が、彼らの健康について何かを言おうと思ったことは一度もない。何故なら彼らは総じて自分らしく魅力的な生き方をしているからだ。意欲と勢いのある人に対して説くべき「整体法」は無い(いくらキチンとした生活をしていても意欲が無いなら、その方が問題である)。理屈で生きている人間(タイプ)ではないから、通り一遍の理論や万人向けの健康体操は通じない。そもそも彼らは長生きしたいと思っているのか、甚だ疑問だ。彼らは恐らく生き方のポリシーを持っていて、彼らにとって「日常」はそれを実現していく「場」に過ぎない。日常という現実が、彼らを始終襲っているが、いつも跳ね返してきた。酒や音楽もポリシーを守る不可欠な武器である。カラダも本来、たとえ傷つこうと、ポリシーに含まれるものである。しかしもしカラダを「云うことの聞かない現実」として認識すれば、たちまち「身」と「心」は離れ、「敵」になるだろう。

 それでも将来、もし彼らが、私に健康に関するアドバイスを求めてきたら、喜んで協力したいと思っている。もちろん、長年の不摂生を問うなど野暮なことはしない。


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聴くよりも歌う方が

2013-05-16 20:23:10 | 音楽

 「今、何が楽しい?」と問われれば、ビートルズを歌っているときと答えるだろう。朝、仕事に行く前に歌い、帰宅してからまた歌う。ビートルズの歌は飽きることがない。昨日も今日も同じ歌を唄っているが、いつも新鮮だ。弾き語りを練習しようというつもりではなく、「ただ歌いたい」から唄っている。

 ビートルズの曲(特に初期の曲)は聴いているよりも唄った方が断然面白い。たとえば、

She Loves You

Do You Want To Know A Secret

All My Loving

A Hard Days Night 

I'll Be Back

I Feel Fine

I Saw Her Standing There

どれも素晴らしい曲で、歌っていると愉快に成ってくる。「歌の力」はスゴイ!


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水のない沢で見付けたもの

2013-05-09 17:52:30 | 渓流・鮎釣り

 「沢釣」に行く沢を新しく見付けようと、インターネット上の地図を観ていたら、ある「沢」が気になった。水を表す青色で描かれたその沢は2Km位はありそうだ。

 初めての沢は、ワクワク8、心配2くらいだ。駅から沢まで約30分。途中で親切なオジサンが、その沢の架かる橋まで案内してくれた。高い橋の上から、見下ろしてみるが、川の姿はよく観えない。沢に降りる道を探して、集落の細い道を歩いた。暫くして山道が有り、それを下って、目指した「沢」に到着。

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 何と、そこには「水のない沢」があった!私は立ったままア然とするしかなかった。その形状から、かつては水が流れていたであろうことは想像できた。足元の大きな石には、長い年月をかけて水が描いた模様が残されていた。

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  見上げると、朝陽の中に淡い紫をしたヤマフジが幾つも垂れ下がっていた。街にある濃い紫色したフジでは、この谷の、山の緑とは調和しないだろう。

 笹の林立する中からは、ウグイスの声が聴こえる。近づくと啼き声が大きくなり、息遣いまで感じる。声の出処が分かる程近づいても、姿を観せることはない。

 水が無かったおかげで、予期せず風流な一時を過ごすことができた。

 さて、釣りの方だが、約1時間かけて別の沢に行き、山女魚と岩魚を釣った。そこには、どんな鳥がいて、どんな花が咲いていたのか・・・ 


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1987年の中国旅行を、もう一度味わう⑧

2013-05-02 14:27:04 | 中国

 最近テレビで「麗江(雲南省)」を観たら、すっかり様子が変わっていたので驚いた。世界遺産に認定され、観光客も増えて、「観光地」になっていた。

 私たちが1987年に訪ねた麗江は、静かで家並みの美しい町だった。名所だという公園にもほとんど人がいなかった。

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民家の裏道で、振り向きざまのLちゃん

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日本から来た若造の向こうには、屋根が整然と並んでいる。

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 余談だが、私はこの旅行中、バーボンを持ち歩き、夜に一杯ひっかけていた。長距離バスの一番後ろの席に坐っていた時に、バスが大きく跳ね、その拍子にボトルがリュックから飛び出した。ボトルは座席の中央にある通路をゴロンゴロンと転がっていったという(Lちゃん談)・・・日本では起こりようのない面白い出来事である。キチンと舗装されていない道、サスペンションの硬いバス、荒っぽい運転手、どれも不可欠だが、何よりもそれを楽しもうとする私たちの気持ちがあったからそれが起こったのだ。

 さて、再び話を麗江の田舎道に戻す。「馬を散歩させる」ということがあるのかどうか知らないが、現に馬を連れている人に会った。白い髭をたくわえ、杖を持った風貌は仙人か、道士のようだった。二言、三言話しただろうが憶えていない。このお爺さんともっと色々と話がしたかった、と思うのは今だからである。

 馬のツヤが良く、光っていた。何故か子馬が私になついた。

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(続く)


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