気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「選択をしない」という健康法

2021-02-27 08:58:26 | 「立つ」健康法
「信心銘」に「至道無難 唯嫌揀択」という言葉があり、「道に至るのはそう難しいことではなく、ただ選り好みしなければいい」という意味である。しかしこれを実行することは至難だ。私たちの日常はありとあらゆる選択の連続で、その都度適切な判断を迫られる。判断の基準は利害・好悪・善悪・勝敗などであり、無判断で選択することなどあり得ない。「選り好み」をしないというのは、どんな結果になっても構わないという、すべてを受け入れる思想であり、我々凡人が容易に到達できるものではない。
 私は健康のために「立つ」練習をしている。「立つ」だけだから太極拳のように難しくなく、勝負ではないから具体的な目標もなく、判断を迫られることはない。「立つ」ときに使うイメージは、できるだけ物を比較・分別せずに一つに観るというものである。これも簡単ではないが、からだを同時に使うことで、少しやりやすくなる。からだの感覚は意識よりも先に周りとの一体感を得られるから、その後に意識を変えていけばよい。実際に「一つに観えている」のかどうかはわからないが、身心が変わったことは自覚できるから、それでいい。どうやら選択・判断をしないことで身心は変わるようだ。

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「答え」を探す前に

2021-02-21 07:39:38 | 「立つ」健康法
 悩みがあったり辛いとき、私たちはすぐにそれを解決する「答え」を探そうとする。しかし「答え」を探すことよりも先にすることがあるのではなかろうか。
 スポーツ選手が一番悔やむのは失敗したときでなく、自分の力を発揮できなかったときである。持てる力を出せたなら、たとえ結果がともわなくても後悔はしないものだ。子供の頃のアニメのヒーローたちはどんな逆境に立たされても、自分らしさを失わなかった。スポーツやアニメのヒーローたちが試練に耐えているとき、それは「不幸」なのだろうか。境遇によって幸不幸が決まるのではなく、自分らしさの有無でそれは決まる。
 「自分らしさ」とは身心のニュートラルな状態である。ココロだけでなくからだもまた自分らしくある必要がある。私はそれを作るために「立つ」練習をしている。

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「理想の立ち方を身につける会」 2021年2月 予定

2021-02-12 11:04:41 | 「立つ」健康法
 23歳のときに北京で太極拳に出会い、荘子や老子の思想に触れ、気功を始めた。再度留学して動気功や陳式太極拳を学んだ。日本では野口整体や禅を学んだ。当時ははっきりとはわからなかったが、これらに興味を持ったのは、単に面白さがあるということではなく、身心の解放という目的があったからである。換言すれば私自身の健康を求めたということである。最初の北京留学から30年経って、私が自分を整える方法は一つだけ、「キチンと立つ」ことだけである。
 
 スポーツや芸事をするときに力が抜けない人は多い。そういう人にもこの「立つ」練習は役に立つかも知れない。全ての基本のその前には「キチンと立つ」ことがある。或いは人生に迷い、生きる気力を失っている人は、騙されたと思って一度「立って」みるといい。からだが変わることで、気分が知らず知らずのうちに前向きになることは往々にしてある。

 「理想の立ち方を身につける会」を2月14日(日曜日)に開きます。関心のある方は是非ご参加ください。詳細はホームページをご覧ください。

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自分に飽きることはない

2021-02-05 11:17:51 | 「立つ」健康法
 
 ひとつの言葉を探している
 自分を表現し 解放する言葉
 
 外から与えられることがある
 本や対話中の誰かから

 自分の中から突如現れることがある
 知らないことを自分が書き出す 

 私は知識を詰め込んだ箱ではない
 新しい自分を次々と発明する友達だ
 

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