「太極拳を学ぶのに大事なことは何だ」と問われたら、「思い込みを減らすこと」と答えるだろう。「思い込み」とは、自分はそれが正しいと勝手に思っていることである。もちろん誰でも多かれ少なかれ「思い込み」はあるのだが、減らすことはできる。私は22年間ほど太極拳を教えているが、上達しない人は、「思い込みの強い人」である。
他の教室で習っていた人も時々来るが、以前のクセが抜けない人がいる。そういう人は以前のそれが良いと思っているから変わらないのである。からだに付いたクセでも意識を変えれば案外簡単に抜けるものだ。太極拳は全身を使うものだが、初心者の多くは、腕が他処よりも多く動き過ぎる。それは腕こそ太極拳だと思っているからだ。意識が腕ではなく丹田や足に行くと動きの質が変わってくる。
私が最後に付いた太極拳の先生は「今まで習ったことをすべて忘れてください」と最初に言った。数年間自分が良かれと思い練習してきたものをすべて捨てるということに若干の困惑があったと思うが、先生の言ったことは正しかった。自分を空(カラ)にしなければ、「教え」がキチンと入って来ないからだ。先生の教えを取捨選択できるレベルではないのに、自分の思い込みを持っていたら邪魔にしかならない。
自分を「空っぽ」にさせてくれる指導者に出あえれば幸せだ。その時、習う方は指導者の一挙手一投足、すべてを受け入れるという姿勢になる。他者に対してそういう思いで向き合うことは、一生のうちにそう何度もあることではない。清濁併せのむことの弊害もあるが、技術の習得がそれを上回る。
続けて行くうちに、指導者の考えと自分の考えの「違い」を感じることがあるかも知れない。そういう「ずれ」は意識よりも先にからだで感じるものだが、その時はあっさりと辞めればいい。それは自分が確立してきたという成長のしるしなのだから。
他の教室で習っていた人も時々来るが、以前のクセが抜けない人がいる。そういう人は以前のそれが良いと思っているから変わらないのである。からだに付いたクセでも意識を変えれば案外簡単に抜けるものだ。太極拳は全身を使うものだが、初心者の多くは、腕が他処よりも多く動き過ぎる。それは腕こそ太極拳だと思っているからだ。意識が腕ではなく丹田や足に行くと動きの質が変わってくる。
私が最後に付いた太極拳の先生は「今まで習ったことをすべて忘れてください」と最初に言った。数年間自分が良かれと思い練習してきたものをすべて捨てるということに若干の困惑があったと思うが、先生の言ったことは正しかった。自分を空(カラ)にしなければ、「教え」がキチンと入って来ないからだ。先生の教えを取捨選択できるレベルではないのに、自分の思い込みを持っていたら邪魔にしかならない。
自分を「空っぽ」にさせてくれる指導者に出あえれば幸せだ。その時、習う方は指導者の一挙手一投足、すべてを受け入れるという姿勢になる。他者に対してそういう思いで向き合うことは、一生のうちにそう何度もあることではない。清濁併せのむことの弊害もあるが、技術の習得がそれを上回る。
続けて行くうちに、指導者の考えと自分の考えの「違い」を感じることがあるかも知れない。そういう「ずれ」は意識よりも先にからだで感じるものだが、その時はあっさりと辞めればいい。それは自分が確立してきたという成長のしるしなのだから。