気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

ライヴとアオサギ

2016-08-26 11:11:02 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)
 ギターの師匠であり友人のGちゃんが、先月(2016年7月23日)のライヴのビデオを作ってくれた。

Gちゃんは歌っている時と普段と、声がほとんど変わらない(ビデオの最後に彼の声が少し入っている)。これは心境の変化が無いことを現わしている。人前で歌う時でも「平常心」なのである。


 ところで、昨日釣りに行ったら再びアオサギに会った(下の写真の上流にアオサギがいた)

  釣りをしている人間は 竿より上を見ることがない
  釣れない時にようやく空を見る
  期待していない空にアオサギが現れ 
  飛行機のように私の上を通過する
  数羽のアオサギが同時に飛ぶ 空から空へ 木から木へ 
  私の眼は 水中に潜ったり 空を昇ったり
   
  初めてアオサギが鳴いた
  蒸気機関車が発車するときの音に似ている
  鳴いた後 
  それまで下流へと向かっていたのを急に右岸へ方向を変え
  山の中へ吸い込まれた




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師は弾いても語らず Gちゃん⑪

2015-12-20 08:17:42 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)
 先日の詩に、Gちゃんが曲を付けてくれた。ガットギターで弾き語っている動画を観ると、渋くて良い曲だ。そして昨日、コード譜をもらったので、弾いてみたら、これが難しい。同じフレーズだと思っていた処が、少しづつ変えてあるのだ。高音部や、伸ばして唄う処は特に難しい。
 何度も唄って行くと歌の良さがよくわかってくる(聴いているだけでは分からない)。さびの手前、マイナーコードが続いた後、一転してメジャーコードになる処は、何かが吹っ切れたような明るさだ。言葉には描かれていない心情を読み取ってくれたようだ。詩の展開、流れまで感じて創ってくれたことに嬉しくなる。

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師は弾いても語らず Gちゃん⑩

2015-11-26 14:43:36 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)
 ギターの師匠であるGちゃんが、北京留学時代の友と30年ぶりに再結成、ライヴを演るというので聴きに行った。当時二人は黒人とバンドを組んで、北京のホテルなどで演奏していたという。
 驚いたことにライヴの開始時間はこちらに合わせてくれるとのこと、夜の教室の後に駆けつけた。「イマジン」から始まり、ボブ・マリーをたっぷり聴かせ、RCサクセションの「ラプソディー」、「甲州街道はもう秋なのさ」「多摩蘭坂」、最後は自作の「走る」へ。気持ちのいいライヴだった。
 Gちゃん曰く「アフリカ音楽は基本のリズムの中、各自がアドリブを出してゆく。ギターもベースも打楽器で、バンドは皆でリズムを出す(抜粋)」。ドラムだけがリズムを作っているのではないのだ。呼吸の長さや話し方、歩き方は人によって違う。それぞれ異なるリズムがあるわけで、楽器をもってそれを合わせていくのが、音楽なのかも知れない。「合わせよう」という思いは妥協ではなく、新たに「二人でのリズム」を構築する喜びである。
 サザンオールスターズの「♫互いにギター鳴らすだけで 分かり合えてた奴もいたよ(YaYa~あの時を忘れない)」を思い出した。二人が思い出したのは、30年前のあの「感覚」だったに違いない。
 

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師は弾いても語らず Gちゃん⑨

2014-02-15 11:01:45 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 名古屋に住む知人のZさんからお誘いがあったので、ギターの師匠であるGちゃんと一緒に、13日(木)から一泊二日で行ってきた。Gちゃんが、現地(中華料理屋の音響設備の整ったステージ)で弾き語りライブ(Zさんは二胡の演奏)をするので、同行した。何故か私も1曲(「酒と泪と男と女」を中国語で)歌わせてもらえることになった。元々この歌を中国語に翻訳してくれたのはGちゃんとZさんである。この2人の前で、この歌を唄うのは30年ぶりかも知れないと思うと感慨深いものがある。先日、Gちゃんとギターの練習を8時間もした(酒5時間・ギター3時間)ので、なんとかなるのではないかと思っていたが、本番では緊張して演奏が速くなってしまった。それでも横でGちゃんがギター(ソロなど)を合わせて弾いてくれたお陰で、何とか形になった。Gちゃんが一人で唄った「崔健」の「一無所有」や蘇芮の「一様的月光」などには凄まじい迫力があり、中国人の観客を大いに喜ばせた。歌や語りのマイペースな振る舞いは、さすがとしか言い様がない。本人は緊張したと言っていたが、本当だろうか。緊張してもこれだけのことができるのなら、素晴らしい。

 Zさんの二胡の演奏は、大陸の悠久な歴史と、そこに生きた人々の息吹を現している。哀愁のある音色は、一瞬にして時空を超えてしまう。
 

 ところで出発の日、ひと波乱あった。気の早い私は、待ち合わせの「新横浜」駅には30分前には着いていた。Gちゃんも横浜線に乗り、「新横浜」に向かっていた。彼の乗った電車は、予定では新幹線(のぞみ)の発車時刻の10分前に着く。ところが新幹線改札付近で待っていても、なかなか現れない。ジリジリしていると出発の4分前にメールがきた。

 「のりこした、ぎりになるので新幹線にのってくれ(原文のまま)」。

 Gちゃんは、次の「菊名」駅で運良く丁度戻りの電車に乗り換え、「新横浜」に着いてからはダッシュで新幹線に駆け込み、何とか間に合ったのだった。息を切らしたが、自分らしさを失わないのは「人物」である(運がイイのも、人物の条件である)。
 


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師は弾いても語らず Gちゃん⑧

2012-09-06 15:35:33 | Gちゃん(友人・ギターの師匠)

 「ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド」という映画を観た。関係者の証言をもとにボブの生涯を描いたドキュメンタリーである。

 ボブ・マーリーの名を知ったのは、十八で中国へ留学したとき。その音楽は、ギターの師であるGちゃんの部屋から(昼夜問わず)いつでも流れていた。「変わった音楽だなぁ~」と思っていたが、毎日聴かされていると、さすがに慣れてしまうものだ。

 Gちゃんがギターで弾き語る「Redemption Song」や「NO WOMAM, NO CRY」は素晴らしかった。私は(ボブの歌よりも先に)Gちゃんの歌で聴いたので、今でも彼の歌の方がオリジナルのような気がするし、また好きなのである。Gちゃんはどんな歌でも「レゲエ風」に演奏するのが得意で、「翼をください」や「泳げたいやきくん」などは絶品だった。

 ところで、ボブの声はどこから出ているのか疑問だった。「喉」から発しているようには聴こえないのだ。映画を観て、ボブは「ジャー(神)」に向かって唄っているのではないかと思った。人は神と対峙したとき、口先だけで話すわけにはいかない。ボブは喉だけでなくカラダの全てを以て、観客だけでなく、全ての存在を含む神に向かって唄っているのだ。

 それ以来、朝からボブ・マーリーを聴いている。仕事から帰宅してもボブ・マーリー。ああ、Gちゃんの「ボブ・マーリー中毒」が27年経って発症?したようだ。

Bob_marley_cd


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