名古屋に住む知人のZさんからお誘いがあったので、ギターの師匠であるGちゃんと一緒に、13日(木)から一泊二日で行ってきた。Gちゃんが、現地(中華料理屋の音響設備の整ったステージ)で弾き語りライブ(Zさんは二胡の演奏)をするので、同行した。何故か私も1曲(「酒と泪と男と女」を中国語で)歌わせてもらえることになった。元々この歌を中国語に翻訳してくれたのはGちゃんとZさんである。この2人の前で、この歌を唄うのは30年ぶりかも知れないと思うと感慨深いものがある。先日、Gちゃんとギターの練習を8時間もした(酒5時間・ギター3時間)ので、なんとかなるのではないかと思っていたが、本番では緊張して演奏が速くなってしまった。それでも横でGちゃんがギター(ソロなど)を合わせて弾いてくれたお陰で、何とか形になった。Gちゃんが一人で唄った「崔健」の「一無所有」や蘇芮の「一様的月光」などには凄まじい迫力があり、中国人の観客を大いに喜ばせた。歌や語りのマイペースな振る舞いは、さすがとしか言い様がない。本人は緊張したと言っていたが、本当だろうか。緊張してもこれだけのことができるのなら、素晴らしい。
Zさんの二胡の演奏は、大陸の悠久な歴史と、そこに生きた人々の息吹を現している。哀愁のある音色は、一瞬にして時空を超えてしまう。
ところで出発の日、ひと波乱あった。気の早い私は、待ち合わせの「新横浜」駅には30分前には着いていた。Gちゃんも横浜線に乗り、「新横浜」に向かっていた。彼の乗った電車は、予定では新幹線(のぞみ)の発車時刻の10分前に着く。ところが新幹線改札付近で待っていても、なかなか現れない。ジリジリしていると出発の4分前にメールがきた。
「のりこした、ぎりになるので新幹線にのってくれ(原文のまま)」。
Gちゃんは、次の「菊名」駅で運良く丁度戻りの電車に乗り換え、「新横浜」に着いてからはダッシュで新幹線に駆け込み、何とか間に合ったのだった。息を切らしたが、自分らしさを失わないのは「人物」である(運がイイのも、人物の条件である)。