気気をすると気が喜びます。気が喜ぶことをしてあげるのは、ひとの仕事です。気がヒトを生かしてくれているのだから、たまには気の喜ぶことをしてあげましょう。ちょっとした気に対する感謝の気持ちです。
何のために『気気』をするのか?それはわからない。わからないのが本当です。『何のため』というのはアタマの中だけの世界です。気気はアタマを超えているのだから、アタマ(言葉・文字)だけでそれを解釈することはできません。しかしアタマも含んでいるのだから、言葉でそれに近づこうとしても構いません。ヤヤッコシイ話ですが、気気を語るときに、そういう言葉の有限性を認識した上で、言葉を使うならば良いということです。
気持ちイイから気気をするのも良いし、健康のために気気をしても構いません。また新しく人と出会えるから気気をするのも良いし、自分らしくなれるから気気をするのも良いです。
大きな『わからない』の中に、小さな『わかる(言葉)』があります。
今日の気気の会には、七名参加して頂きました。前回(7月8日)と今回は、いつものメンバー以外に、新しい方が一名づつ参加されました。この方々は、インターネットで気気の会のホームページを見て、申し込んでくれました。そもそも私が慣れないパソコンを使ってホームページを作ろうと思ったのは、第三者(私の太極拳などの教室以外)の人に気気を紹介したいと考えたからです。そういう意味で、二名の方が参加されたことは、本当に嬉しいことでした。
今後もインターネットだけでなく、チラシの配布などで、気気の紹介に努めます。
気の上がった自分に対して、気の下がった自分が「気を下げた方がいいよ」とアドバイスするのが気気です。自分が自分に言うのだから、素直に聞けます。
『自分は悪くはない』と思っている人を改心させることなどできるだろうか?仮にその人が誰が見ても悪いことをしたとしても、法律や道徳、常識などをもってその人の非を認めさせることなどできるだろうか?また、認めたとしても、それは表面的なもので、ココロは閉ざしたままで、動いていないのではなかろうか?
気気の会では、そういう人でも受け入れます。改心させるつもりはありません。もし気が上がっているのであれば、気を下げることを目指して行く、それだけです。