気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

風邪は放ッパラガシに

2008-03-24 15:19:35 | 野口整体

 先週風邪をひきました。ひく二日前から腰にこわばりを感じていましたが、だからと言って練習量を減らすことなく過ごしたところ、風邪になりました。風邪になるといつもやっている階段の上り下りはカラダがきついのでやめましたが、太極拳は問題なくできました。思えばこの仕事(太極拳・気功指導)を十年していますが、風邪で仕事を休んだことはありません(スゴイ二日酔いで休んだことはありますが・・・)。

 薬を飲まないのはもちろん、野口整体のおかげで、風邪を前向きにとらえられる様になりました。良いのか悪いのか今では活元運動もせずに、ただ放ッパラガシにしています。鼻水が少し出たり、喉が痛むことはありますが、基本的には『そのまま』にしておきます。『そのまま』にして置いても、知らず知らずのうちに良くなってしまいます。

 風邪を引いた後、活元運動をしたり、足湯をしたり、蒸しタオルを当てれば少しは直りが早いかも知れません。早く直りたい人はそうすると良いと思います。私は、(早く直っても)数日くらいなら早く直らなくても良いから忘れていたいと思います。と言っても普段から全くカラダのことを考えていないのではなく、それなりに意識はしています。風邪をひいてからうろたえたり、慌てたりしないようにしたいと思っています。


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実践しないとカラダは変わらない

2008-03-14 19:53:11 | 気気

 啓発本などを読むことはありませんが、おそらくそこには『今までの考えを改め、○○と考えよう』などと書かれているのでしょう。消極的な考え方を積極的なものにすればいいというカンジです。その通りにできれば良いのですが、普通は言われたからといって、すぐにはできないものです。アタマの中(考え方)を変えるのは難しいのです。

 気気は実践です。アタマよりも大きな『気』を対象にして、それに合わせようとします。一度『考え(雑念)』を捨てて、気気の実践をしてみて下さい。カラダが変わります。カラダが変わると、アタマ(考え方)も変わります。


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山は動いている

2008-03-07 19:59:35 | 太極拳

 毎朝、山中にある(といってもそんな高い山ではありませんが)近くの神社で太極拳をしています。毎日同じところに行くのですが、全然飽きるということがありません。家の中で練習すると、疲れ易いですし、長い時間できないこともあります。これはおそらく刺激の問題だと思っています。家の中の物は、壁にしても、鏡にしても、箪笥にしても動きません。動かないものは、不自然で刺激的ではありません。それが外に行くと、まず音がします。木の葉が風に揺れる音、鳥が飛び立つ音・・・音がするということは、映像としても動いています。私も動くし、風も強弱を変えながら皮膚に当たります。意識するしないにかかわらず・・・それらはすべて私にとって心地良い刺激になっています。


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円明園の池の畔で

2008-03-04 17:12:19 | 中国

 北京から帰ってきました。10年ぶりの北京が変わったかどうかについては、久しぶりに昔の友人に会うようなもので、身形は変わっても根本は同じだということです。

 私はただの旅人ですから、北京の歴史を断片的に摘み喰いすることしかできません。どうしたって地元の人間のように自然には振舞えません。彼らが朝早くから景山公園に集まり、太極拳や散歩を日常のありふれた一つとしてこなしていること・・・故宮を見下ろせる絶景には眼を向けず、柔軟体操をしていること・・・その自然さに中国人の生命力を感じました。

 一方で中国では、経済格差が広がっていることも容易に観てとれました。小さな食堂で昼食を取っていたら、一見して肉体労働者とわかる風貌の若者達が10人くらい順々に入ってきました。彼らが注文したものは、超大盛りのご飯に野菜(少しは肉が入っているかも知れません)の炒め物をぶっ掛けたものです。そしてそれを生のニンニクをかじりながら食しました。値段はおそらく4~5元(日本円で80円)くらいだと思います。彼らは近くでビルを作る建設作業員でした。オリンピックに間に合わせるために急ピッチでホテルを建てているのかも知れません。また街中では車が行き交う中に、リヤカーを自転車で引いている人をよく見かけました。山のように高く積んだ荷物やゴミを運んでいたのです。

  北京は、私に何かを考えるヒントを与えてくれます。私の中の何かが動き出します。たとえばそれは白雲観のお堂で・・・円明園の池の畔で・・・地下鉄の窓際で・・・日壇公園のベンチの上で・・・


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