気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

厦門の闇両替人

2015-09-25 12:45:30 | 中国

 厦門大学に語学留学した(1985~1987年)頃、中国には人民元の他に兌換券(だかんけん)という通貨があった。外国人が空港や銀行で両替すると、最初に手にするのが兌換券である。

兌換券があると、中国人でも友諠商店など外国人向けの店で買い物ができたので、兌換券の価値が上がり、人民元との間で闇両替が行われていた。記憶があいまいだが、当時は兌換券1元に対して人民元1.4~1.7元位の相場ではなかったか。

 中国政府も黙認していたのか、厦門ではメインストリートの中山路と思明路が交わる十字路に、いつでも闇の両替人が立ち、我々外国人に近づいて来ては声を掛ける。

「有没有外汇?(兌換券もってない?)」

「要换钱吗?(両替しない?)」

「港币,有没有?(香港ドル持ってない?)」

 ギターの師であり、友人のGちゃんは、一緒にいた2年間で一度も闇両替をしたのを見たことがない。元来、金にはこだわらない性格ではあるが、他にも何か自分の哲学があったのだろうか。

 当時の中国では、不慣れな外国人が買い物をして、ぼられることが良くあった。1本2角程度のサトウキビを10元(50倍~)で買わされた旅行者もいた。Gちゃんは、中国人のような中国語を使うからそんなこともない。ある日穴の開いたジーンズを穿いて(本人はカッコがいいと思って?)自由市場に行き、買い物をしようとしたら、

「お前、ズボンも買うお金がないのか」と同情され、まけてもらったという話がある。

 ところで、兌換券はその後廃止されたが、あの闇両替人たちは、何処かでたくましく生きていることだろう。うるさく付きまとう彼らであったが、厦門を振り返るとき、懐かしい風景の一つとして思い出すのである。


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ある日のギター弾き語り⑥・・・井上陽水

2015-09-19 09:45:30 | 音楽
 陽水の歌は短調で歌詞が湿っぽいというイメージがあるかも知れないが、歌ってみると元気になる曲も多い(初期の歌しか知らないが)。「青空、ひとりきり」「能古島の片想い」「闇夜の国から」などは歌うと気分が晴れてくる。
 昨日弾き語ったのは以下の通り。


招待状のないショー
枕詞
青空、ひとりきり
能古島の片想い
いつのまにか少女は
紙飛行機
たいくつ
東へ西へ
チエちゃん
帰れない二人
おやすみ
夏の終りのハーモニー

「たいくつ」は、1番2番だけでは何のことだかよく分からないが、3番まで行くとわかる。


 写真は16枚組のCD(あれ?1枚何処かに行ってしまった)。


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からだはひとつ

2015-09-11 15:56:08 | 健康
 「からだがひとつにつながっている」ということは、誰かに教わって知るのではなく体感によって知るものだ。力を抜いてバランスよく立てば、つながっていることを自覚する。どこが頭で、首で、胸で、腹で…という違いを感じなくなる。全身が頭の様でもあり、全身が胸の様でもある。例えれば「煙突」の様に感じる(レベルによって感じ方は変わる)。頭から足の裏までが、一本につながっていて、場所による太さの違いを感じない。足は二本でなくて一本に感じる。
 では、どうしてからだをバラバラに感じてしまうのか。言葉があるからである。五体という言葉があるから、からだを五つに分けてしまうのだ。太極拳を指導していると、腕と足をバラバラに動かす人が多い。それは本人が腕と足は別物だと認識しているからである。本来つながっているものをわざわざバラバラにしてしまっては上手く動かせるわけがない。教科書を捨て、凝り固まった観念を外せば、答えはからだが教えてくれる。

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全身をつなげる

2015-09-05 10:39:31 | 健康
 からだは全身を一体として使わなければならない。いわゆる「一動全動(一ヵ所動けば全身が動く)」である。よく誤解して、手足を一緒に動かせばよいと考えてしまう人もいるがそうではない。たとえ百ヵ所でも、同時に動かそうと思ってしまってはおかしくなる。
 まず、からだを繋げることだ。余分な力を丁寧に抜いて行けば、自然にからだは繋がる。からだを使う時には、動作はもちろん、手足にも特別意識を向けず、ただそのバランスを崩さないようにする。そのためのよい練習方法がある。腕を垂らして自然体で立ち、丹田だけをゆっくりと上下させる。その時、その動きに伴って骨盤も上下し、胸・頭など水落から上は、丹田とは逆方向に動く。これを繰り返していけば、全身が協調して動くようになる。私はこの練習を始めてから、ほとんど腰痛が起きなくなった。また、太極拳「腕の開合」の基本練習にもなる。丹田→胸→肩→二の腕→肘→手首と力を伝えていく。丹田が下がれば胸は上がり、それは左右にも開き出して、肩→二の腕→肘→手首と伝わっていく…これが「開」である。丹田を上げた時は「合」である。
 からだは元々ひとつなのだから、余計なことをしなければ、よい使い方ができる。しかし余計なことをしていることに気が付かない人も多い。

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