気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

レモンバーベナの挿し木を試す

2018-09-30 10:17:33 | 
 数年前に買ったレモンバーベナの苗が大きく成長したので(写真ご参照)、挿し木を試してみることにした。3週間くらい前に植木鉢に挿してみたのだが、数日で1本を残して葉が全部落ちた。その残った1本は、茎がまだ緑色で木質化していないものだった。
 今朝、何気なく植木鉢をのぞいてみると、なんと「枯れた」と思っていた茎から、小さな葉が出ているではないか!感動した。私は、それら葉のない茎達をとっくに諦めていた。意識にも入っていなかった。水を与える時にも葉のある1本だけを目掛けていた。勝手に「枯れた」と思い込んでいたことを恥じ、彼らに謝りたい気持ちになった。植物を、見た目や人の思惑で判断してはならないことを学んだ。






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庭を掘ると

2018-09-22 09:05:38 | 
 山で捕まえたミミズを庭の一角で放し飼い?にしている。裏山から飛んで来た落ち葉や、抜いた草などを山積みにしている処に放している。もちろんこれは来るべき渓流釣りに備えているのである。先日、そこに生ごみを埋めようとして掘ると、大きな幼虫がいた。調べてみると、特徴からカブトムシの幼虫だということが分かった。
 小学生のときにカブトムシの幼虫を数匹捕まえたことがある。バケツの様な簡易な物に入れて、外に置いておいたら、大雨が降ったときに水が入って、1匹を残して全滅してしまった。生き延びた1匹は生命力が強かったのだろう、やがて蛹になった。あの白くて柔らかい幼虫が、キャラメル色をした成虫の形になった。オスの特徴である長い角が丸く包まれている。蛹を観たときとても嬉しかったことを、今これを書きながら思い出した。もちろん、羽にまだ色の付いていない白いカブトムシが出て来たときも感動したのだが、インパクトは蛹の方が強かった。
 裏に山があるとはいえ、庭にカブトムシがやって来るとは思ってもみなかった。おかげで、子供の頃と同じときめきがまだ残っていることがわかった。

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頭痛と栗

2018-09-14 16:17:38 | 
 昨日の夕方に頭が痛くなり、今日になって痛みが強くなった。今まで頭痛など知らなかったのだが、数年前に始まって以来、年に数回ある。原因は不明だが、雨が降る前に起こることが多く、低気圧と関係があるかも知れない。
 いつもは放っておくのだが、今回は気になるほどなので、キチンと「立つ」ことにした。立つと、痛みが気にならなくなる。イメージを使って意識を分散させるので、痛みが緩和したように感じるのかも知れない。
 ところで、昨年から「茹で栗」が美味しく感じられるようになった。それまでも毎年少しは食べていたのだが、最近は無性に食べたくなるという感じである。味覚が変わって、好みが変わったのだろうか。茹で栗は半分に切ってスプーンでほじくる方が、薄皮まで全部剥いてから食べるよりも美味しく感じる。剥いてある栗だと一口で食べる量が多く、食べる速度も速くなりがちだが、スプーンの方は1回で取れる量は少なく、作業の間に味わう時間がある。或いはもしかしたら、ただ剥いた栗を手で持ち口に運ぶよりも、スプーンの方がより手を使いながら食べるという全身運動になっていて、神経や味覚が敏感にハタラクのかも知れない。
 からだが変わって頭痛が起きるようになったことと、栗の美味さがわかるようになったこととは関係があるのだろうか。

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脳のモードが変わる 詩

2018-09-09 09:14:30 | 「立つ」健康法
 詩は歌詞と違って音がなく、ただ言葉だけで表現される。詩人は音が欲しければ言葉で音を表現し、歌いたければ言葉で歌う。読者は詩人が文字の中に込めた音(或いは無音)や声を聴きとらなければならない。その音はオノマトペや七・五調のリズムで直接的に現されるものだけではない。生きているものに必ずイノチがあるように、生きている詩には音(或いは無音)がある。その音を聴き取れた時、「ああ!」と感嘆する。
 言葉には表層と深層があり、詩で使われるのは後者の方である。詩人の書いた言葉をそのまま表層の意で受け取ったら、詩を読んだことにはならない。深層の意を汲み取るのは難しいが、詩の方から深層的な観方を教えてくれることもある。音楽を演奏すると脳のモードが変わるように、ある詩を読むと、日常の相対的ではない観方を、自分がしていることに気が付く。「立つ」練習をすると脳のモードが変わるのを実感するが、詩を読んでも変わることを知った。
 図書館で借りた2冊の詩集「田中国男」「杉山平一」は、棚の前で立ち読みして選んだものだが、何度も感嘆した。

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鳩尾を弛める

2018-09-02 10:30:48 | 「立つ」健康法
 野口整体には「活元運動」というからだを整える方法があり、その最初の準備運動を「邪気の吐出」という。からだを前に倒しながら、鳩尾(みぞおち)を両手中指で押していき、息を吐き出すというものだ(深い腹式呼吸と言ってもよい)。活元運動をせずに、邪気の吐出だけしても意味がある。なぜなら鳩尾を弛めるだけで、からだはずいぶんと変わるものだからだ。一番はアタマがすっきりする。ごちゃごちゃしているアタマが落ち着いて来る。
 私は普段、邪気の吐出はしていないが、鳩尾を弛めるようにはしている。私のやり方はいたって簡単だ。立ったままで鳩尾を意識して、弛めようと思うだけである。その時、少し鳩尾を凹ますようにすると、息を吐き出し易くなり、弛みやすい。たったこれだけのことでアタマは鎮まり、腹式呼吸が始まる。
 休息というと、からだだけ休ませる人も多いが、アタマを休ませることが大事なことなのである。身心一如だから、アタマが休まらない限り、からだも休まることはないのである。

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