気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

手を受けるよりも自分で「立つ」

2019-05-25 10:11:21 | 「立つ」健康法
 野口整体には愉気法という手を当てる技術がある。気の相互作用により、からだを整えようとするものだ。私は以前「気気の会」という手を互いに当て合う会を開いていた。参加者が、終わった後に気持ちよさそうにしている姿を見て、それなりに意味を感じていた。ただ、当時はさほどでもなかったのだが、後になって気になったことがある。参加者が手を当てるよりも、受ける方を好んでいたことである。
 気功(特に治療などを行う外気功)などでは気の物質的な面に重きをおき、それを使おうとする。愉気法でも手を当てる人の姿が気を送っているように見えるせいか、物質的な気を出しているような想像をしやすい。現にそういう部分もあるのだろうが、それよりも「意識(の持ち方)・イメージ」の方がよりからだの変化と関係がある。受けている人は、手を当てる人から丁寧(大切)に扱われる(手を当てられる)ことが、何よりもからだを変えることになる。受ける人はうつ伏せになるだけでも力が抜けるものだが、加えて手を当てる人に対して、「して頂いている」というような謙虚な気持ちが湧いて来る。こういう気持ちこそからだを変えるのである。
 手を当てる人にも当然「意識」の変化がある。キチンと手を当てようとする型にともなって意識もまた集中し、受けている人の変化(弛んできたこと)を手で感じれば、自分の存在の意味(人として役に立ったこと)を確認し、結果的に「整う(快を感じる)」のである。

 現在私は手を当てずに「立つ」ことを通してからだを整えることを指導している。「意識」でからだが変わるのだから、一人で「立つ」だけで十分なのである。「立つ」ことは他者と関わらない分完全に自分の「意識」によるものだ。しかし、「意識」だけでも変わらない。それに反応する敏感なからだが必要である。この二つをキチンと使うことでからだを整えられる。

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体罰をする側の身心

2019-05-18 10:28:51 | 
 体罰をする時、その身心にどのような変化が起こるのか。人は人を殴る時に身心共に緊張する。緊張しなければ殴ることができないからだ。その緊張は、からだの自然(リラックスした自分らしい状態)からみると、「不快」の種に属する。にもかかわらずそれをするのは何故だろうか。本人の感覚が鈍く、緊張を不快だと感じられないからである。本人の生活にストレスがあったりして感覚が偏ると、その解消として体罰が行われることがある。また本人が良かれと思って体罰をしている場合もある。体罰は生徒の能力を高めたり、悪い処を改善させるためにしているのだと思いこんでいる。
 
 体罰の是非を各方面から論じるのも良いが、私は体罰をしない理由として、自分が「不快になるから」というのがあってもいいと思っている。人は普段思考したり行動する時に、善悪・好悪・利害・美醜・勝負・・・などを基準にするが、「快不快(自然不自然)」もそこに入れたい。それが、将来体罰をしないブレーキにもなり得ると考えている。それは体罰だけではなく、虐待やいじめ、言葉で人を傷つける行為に対してのブレーキにも。もちろんそのためには、本人が自分の身心に耳を寄せ、からだの声を聞きとらなければならないのだが・・・。
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からだの声をきく前に

2019-05-11 09:11:47 | 「立つ」健康法
 よく「からだの声をきく」と良いと言われるが、それには前提がある。意識がニュートラルに近い状態でなければ、からだの感覚も正常にならないからだ。よく「食べたいものを食べれば、必要な栄養が取れる(足りない栄養を摂りたくなる)」というが、ストレスがあれば甘いものを摂り過ぎたり、食べ過ぎたりすることがある。何かに夢中になっているときに水の補給を忘れてしまうことがある。必要に迫られて仕事や勉強で夜更かしをするときに眠くはならない。こういうときに「からだの声」は発せられているのだろうか。からだの声をきく前に、先ず自分を整えることだ。意識が偏っていれば(気が上がっていれば)、からだが出す「声」もまた歪んでしまうのである。
 「意識のニュートラル」は脳波や血圧などを測定して分かるものではなく、自覚するものだ。私は「立つ」練習をしているが、そのときに身心が「ニュートラル」になったことを自覚する。ニュートラルという言葉に語弊があれば、現在作り得る最高の状態と言い換えてもいい。

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筋肉痛に「立つ」

2019-05-02 08:26:51 | 「立つ」健康法
 先週「背中(右腰の上あたりの筋肉)」を痛めた。釣りで、川にに向かって歩いているときに痛めた。釣りの最中はほとんど気にならなかったが、その後は痛んだ。いつでも痛むのではなく、ある姿勢を取ると痛む。一番痛むのは、夜寝るときの仰向けの姿勢。それでも当日は何もせずに寝た。翌日、寝るときに「イメージ」をしてみることにした。いつも「立つ」練習のときにしているようなイメージである。からだを「気」だと考え、周りの布団や壁や天井も「気」だと考えた。そして痛みが消えた。力が分散し、硬くなっていた処が弛んだのだろう。
 痛みを取るだけなら「野口整体」や「操体法」などの方法があるが、今回は何もせず「イメージ(意識)」だけでやってみようと思った。1回ですべて良くなったわけではなく、その後も痛みが現れたが、少しづつ良くなっていった。
 
 痛めた原因は、もしかしたら「迷い」ではないだろうか。いつもは入渓する(釣る)場所を事前に決めているのだが、その日は上流か下流かで迷っていた。そういう意識の状態がからだに反映したのかも知れない。

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