野口整体で学んだことの一つに、「手の触れ方」があります。整体操法の練習などで相手の背中に手を当てるときに、本当に丁寧に手を当てるのです。先生や先輩が私に触れるときの、その手の感じを今でも憶えています。
手を当てるということは、見た目(あるいは物理的)には、相手の吐く息に合わせて、力を抜いてゆっくりと触れるだけですが、それ以上に大事なことは、気がそこにあるということです。それは目標のために一生懸命にやるということとは違います。むしろ目標のような期待や感情を極力排して、静かな自分らしい状態で行うことです。
気が散っている人にからだを触れられると、とても不快な感じを受けます。普段は言葉を丁寧に話す人でも、手の触れ方が雑なことがあります。それは技術が下手なのではなく、気がそこに無いからです。本来気は誰にでもあるものですが、発揮できないことはあります。からだを物として見たり、意識が他のところに行ったりしていれば、気を十分に使うことはできません。気は物理的な面もありますが、意識の中に気を想定することができるかどうかが大事です。
もう20年以上も前になりますが、先輩のところに勉強に行ったときに、ある女性が練習の手伝いに来てくれました。私はまだ野口整体を始めていなかったので、手の当て方などもわからなかったのですが、その人は快く私の手を受けてくれました。先輩に比べて私の手には、不安や未熟さが現れていたはずですが、その人はただ良かったですと言ってくれました。それは何も持っていない私の、わずかな気だけを感じて言ってくれた言葉だったのです。