少し前に、気功の意守(イメージ)の方法を書きましたが、「百会(ひゃくえ)」と「湧泉(ゆうせん)」の意守について少し解説を加えます。
「百会」は頭頂部にあり、「湧泉」は土踏まずの前方にあります。それらを意守するときには、からだの極(際)という認識を自然に持つのではないかと思います。しかし一方で、そこは百会であれば天(空気)の極であり、湧泉であれば地の極でもあるのです。渡辺真知子の「たかが恋」という曲の中に「岬は海と陸の最果て」という歌詞があります。岬は普通、陸の最果てとは考えても、なかなか海の最果てとは考えないものです。同様に百会や湧泉をからだの極とだけ考えているよりも、同時に天や地の極でもあると考えたほうが、からだに拡がりが出て、いい感じになるのです。
「百会」は頭頂部にあり、「湧泉」は土踏まずの前方にあります。それらを意守するときには、からだの極(際)という認識を自然に持つのではないかと思います。しかし一方で、そこは百会であれば天(空気)の極であり、湧泉であれば地の極でもあるのです。渡辺真知子の「たかが恋」という曲の中に「岬は海と陸の最果て」という歌詞があります。岬は普通、陸の最果てとは考えても、なかなか海の最果てとは考えないものです。同様に百会や湧泉をからだの極とだけ考えているよりも、同時に天や地の極でもあると考えたほうが、からだに拡がりが出て、いい感じになるのです。