気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

意守(気功のイメージ)の範囲を限定しない

2022-12-25 07:58:16 | 「立つ」健康法
 少し前に、気功の意守(イメージ)の方法を書きましたが、「百会(ひゃくえ)」と「湧泉(ゆうせん)」の意守について少し解説を加えます。
 「百会」は頭頂部にあり、「湧泉」は土踏まずの前方にあります。それらを意守するときには、からだの極(際)という認識を自然に持つのではないかと思います。しかし一方で、そこは百会であれば天(空気)の極であり、湧泉であれば地の極でもあるのです。渡辺真知子の「たかが恋」という曲の中に「岬は海と陸の最果て」という歌詞があります。岬は普通、陸の最果てとは考えても、なかなか海の最果てとは考えないものです。同様に百会や湧泉をからだの極とだけ考えているよりも、同時に天や地の極でもあると考えたほうが、からだに拡がりが出て、いい感じになるのです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次元(モノの見方)を変えるとは②

2022-12-18 08:52:53 | 「立つ」健康法
 次元を変えても、個々のモノモノがなくなるわけではありません(見たり、触れたりすることができます)。その状態はモノを一つにつなげてみる前の状態と同じように見えますが、質が違います。それは「つながっている」という前提の上で、本質を持たない個々が分かれている、いわば「つながっていながら分かれてもいる」という矛盾的な状態です。そのようにモノがつながった状態を基準にして身心を見てみると、カラダは軽くなり、動かしやすくなります。カラダに一体感があり、全身を使うことができます。ココロは穏やかになり、不安が減り、悩みなどがそれほど気にならなくなります。身心にとっては、普段のように相対的な見方をしているときよりも、このような見方をしているときの方が良いのではないかと思っています。

 そうは言っても日常のあらゆる場面でそのような見方をすることは不可能に近いです。しかしそこまで徹底的にやらなくても、からだは変わるのです。程度は落ちるかも知れませんが、日常に少し取り入れるだけでも生きやすくなります。私は「モノを一つに見る」ことを健康法として「理想の立ち方を身につける」ことを紹介しています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「次元(モノの見方)を変える」とは

2022-12-10 08:06:46 | 「立つ」健康法
 前回の記事で「次元を変える」という言葉を使いましたが、誤解されやすい言葉なので、少し補足します。「次元を変える」というと、なんだか四次元の世界や霊界に行くみたいに思われがちですが、そういうことではありません。モノの見方を変えることです。モノの見方は人によって違いますが、相対的に見るということでは共通しています。相対的ということは、モノを比較・分別することです。相対的な見方をするときには「モノがある」ということが前提になっているのですが、果たしてモノは本当にあるのでしょうか。もちろん常識や科学的な見方をすれば「ある」に決まっています。見たり触れたりできるものは「ある」と考えるのが普通です。しかしモノが個々に存在するためには、それぞれのモノに名前と本質(概念・意味)がなくてはなりません。私たちは個々のモノにはそれがあると当たり前のように認めているのですが、それを認めないという考え方もあるのです。老子の道や荘子の渾沌、禅の無やプロティノスの一者などには、モノが個々に分かれる前の状態があり、そこから見れば、モノには本質はなく、すべてがつながっているのです。このような見方が「次元(モード)を変える」ということです。しかし私たちが現実の世界で暮らすには、この次元が変わったところに居着くのではなく、再び現実の「分かれている世界」に戻らなければなりません。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネガティブな思考に対して②

2022-12-04 08:37:09 | 「立つ」健康法
 「自分を変えたい」と思う人は少なくないと思います。現状の自分に不満があって、そう思うのでしょう。「こうありたい」という理想の自分は、表情や姿勢など静的なものを含めて、その行動に対して思うものです。「行動」の前には必ず「意識(思考)」があり、それがネガティブであれば、行動もおのずとそうなります。そういうネガティブな思考を直接変えようとするのではなく、次元を変えた方法(ものを一つに見る)をすることで、結果的に身心が変わり、ネガティブ思考が変わってくるということは、前回お話ししました。
 この「次元を変える」ことを「気を整える」と言い換えることができます。気は単なるエネルギーではなくて、ココロを超えた次元のものです。気を整える方法として、気功や坐禅や瞑想などいろいろとありますが、「どれをやる」というよりも、「どのようにやる」という「やり方」が大事です。方法が間違っていては目的に到達することはできません。どの種目(手段)を選んだとしても、その最中には目的を離れて(放して)、快感を追い求めることなく、ただ淡々と自分の存在を薄めて、周りとの一体に近づいていくということに変わりはありません。それはいわゆる普通の身心の状態で感じる満足を目指してはいないということです。現状の身心の満足を求めることは、「気を整える」ことにはならず、「次元を変える」ことにはなりません(身心の快感があってはいけないのではなく、過程でそう感じることもあります。ただ最終目標としてそれを設定してしまうと、真に目指しているところに辿り着けないのです)。
 こうして気を整え、次元を変えた結果として、初めて変わる身心があります。それは自覚の有無にかかわらず、一番自分らしい状態です。それでもなおネガティブ思考が残ったとしても、それは仕方がないことだと思えるのです。ここで獲得した「自分らしい状態」には、ネガティブを抱えて生きていく力があるのですから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする