気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

すべてに共通するものを「設定」する

2023-05-25 15:24:06 | 「立つ」健康法

 私は瞑想や「キチンと立つ」練習をするとき、「自分」が「気」だと考える。次に「他の人たち」も「気」だと考える。そして「すべてのもの」もまた「気」だと考える。

 他の人や万物がそれぞれ「異なる気」を持っているのではなく、自分と「同じ気」を持っている。或いは「同じ気」なのだと考えるのです。

 私たちは普段、自分以外の人を「他人」だと考えます。常識的には当然です。それをここでは「他人」と考える前に、「同じ気」を持っている。或いは「同じ気」なのだと考える。同じ気が、形を変えて現れていると考える。顔や形が違っても、名前が違っても、その前の気のレベルでは「同じ」なのだと考える。

 私は「気」の学者ではなく、ただ「気」という概念を健康法に使えないかなと考えているだけです。「気」という言葉を使うのは、他にふさわしい言葉が見つからないからで、「気」の代わりに、神や、自然・道(タオ)などを使ってもいいと思います。大事なことは「気」という言葉ではなく、内容だからです。内容とは、自分を含めた万物に共通するものを「設定」してるかどうかということ。もちろん人はそんな「非日常」の考えをわざわざしなくても生きていくことはできます。それでもあえてそれを「設定」するのは、私にとって自分の身心を整える手段になり得るからです。個人的なものだと言われれば、そうなのですが、教室で生徒たちと一緒に練習すると、身心の変化を感じる人も多いのです。


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