からだはひとつである。当たり前すぎて聞き流してしまう人が多いだろう。しかし実感としてそう思い、そのような使い方をしている人は少ない。
野口整体の創始者である野口晴哉氏は、からだをひとつだと思っていた人である。だから身体の何処に触れても、そこではない別の処を治すことができた。普通の人はそうはいかない。「肩が痛い」と言われれば肩に、「腰が痛い」と言われれば腰に手を当てたくなってしまう。
からだはボールだと思えばいい。丸いボールなら、何処に触れても同じである。足と腕は違うものだと思ってしまうのは、言葉(概念)と形にとらわれているからだ。物事を分節する言葉が無ければ、からだはひとつになる。言葉よりも意識(イメージ≪映像や感覚≫)でからだを一つにしていく。
太極拳も然り。(私は読まないが)マニュアル本にはおそらく、腕をどうしろ、足はどうしろ…と書いてあるに違いない。しかしその通りにしても上手くはならないのは、それ以前にからだのつながりが無いからである。動作をする前に、イメージでからだを上下・左右・前後に拡げると、からだは球状になっていく。見た目には上下に細長いからだが、感覚としては丸いボールのように感じるのである。そうなれば後は、そのつながった感じを大事に(維持して)動くようにすれば良いのである。
野口整体の創始者である野口晴哉氏は、からだをひとつだと思っていた人である。だから身体の何処に触れても、そこではない別の処を治すことができた。普通の人はそうはいかない。「肩が痛い」と言われれば肩に、「腰が痛い」と言われれば腰に手を当てたくなってしまう。
からだはボールだと思えばいい。丸いボールなら、何処に触れても同じである。足と腕は違うものだと思ってしまうのは、言葉(概念)と形にとらわれているからだ。物事を分節する言葉が無ければ、からだはひとつになる。言葉よりも意識(イメージ≪映像や感覚≫)でからだを一つにしていく。
太極拳も然り。(私は読まないが)マニュアル本にはおそらく、腕をどうしろ、足はどうしろ…と書いてあるに違いない。しかしその通りにしても上手くはならないのは、それ以前にからだのつながりが無いからである。動作をする前に、イメージでからだを上下・左右・前後に拡げると、からだは球状になっていく。見た目には上下に細長いからだが、感覚としては丸いボールのように感じるのである。そうなれば後は、そのつながった感じを大事に(維持して)動くようにすれば良いのである。