先月、野性の猿が家の裏に現れた。
私と眼が合うと、尻で私を威嚇した。
その後、全く何もなかったように、天を見上げボンヤリする。
数日後、再び現れたヤツを、小窓から撮影した。 木の実?などをポリポリ食べながら、壁を縦横に渡っていった。
先月、野性の猿が家の裏に現れた。
私と眼が合うと、尻で私を威嚇した。
その後、全く何もなかったように、天を見上げボンヤリする。
数日後、再び現れたヤツを、小窓から撮影した。 木の実?などをポリポリ食べながら、壁を縦横に渡っていった。
「ギターを弾き語る」ということは、ギターを弾いて唱うだけではなく、自分の身体を変えることでもある。唱っているうちに調子が出てくるのは、身体が徐々に目覚めてくるからだ。片足を、低いテーブルの上に載せて(行儀が悪いが)唄うと、自然にリズムに合わせて、全身を動かしている。気分も昂揚したり、開放されてくる。「ギター」と「自分」と「歌」の一体感が生じる。
私にとって「ギターを弾き語る」ということは、結果的に自分を取り戻す手段になっている。
「成都」と言えば四川省。四川省と言えばパンダである(麻婆豆腐・杜甫・劉備といっても良いが)。 とにかく動物園ではパンダがのびていた。
成都から汽車で雲南省の「昆明」に行った。昆明では、ドミトリー(多人数部屋)に泊まったのだが、私はひどい下痢になり、一晩中(部屋の外にある)トイレを往復していた(同じ物を食べているLちゃんは何故か平気だった)。「大理」の後に訪ねた「麗江」では、ひどい嘔吐になり、翌日のバスに乗れる状態ではなく(チケットを無駄にしたが)、一日休まざるを得なかった。食堂で食べた「トマトと卵のスープ」が悪かったのだ。Lちゃんに「何で平気なんだ?」と訊いたら、「危なそーな味がしたから俺は食べなかったんだ」と。「何で言ってくれなかったんだよ~?」と問うと、「マキがあんまりウマそうに食べていたから~」とのこと。
私がヘばっている時に、Lちゃんは一人で散歩に行って、「水牛の角」がリヤカーに沢山積まれているのを観たという。残念!是非土産に欲しかったのだが・・・
写真は、「麗江」の道端で。水牛と。
次の写真はどこで撮ったのか思い出せない。この後「ヤシの実」をナイフで剥いたのだが、中の繊維が硬くて苦労したことは憶えている。
「大理」の町をぶらぶら歩くLちゃん。
(つづく)
桂川(山梨)に、2週間ぶりの釣行。昨日の雨で増水してるかと思いきや、そうでもなかった。川虫を捕まえて暫くやってみるが、全く反応無し。本流で釣れないことはよくある事で、気を落としてはいられない。
今年初めての某沢に行くことにした。本流との合流付近から上がると、直ぐに滝が有り、行く手を遮られる。その後も高い滝が数本あるので、それらを過ごしてから入渓。1時間あまりで岩魚が3匹釣れた。全く「雨のお蔭」である。
帰り際、山道(林業の人が使う仕事道?)で着替えをしていたら、山の斜面の赤い実が眼に入った。背が低いから「十両(ヤブコウジ)」かと思ったが、良く観たら、赤い実は幾つも垂れ下がり、「万両」だった。
滅多に人が通らないだろう「この道」で、斜面のやや上にある、この低木の、更に小さい「赤い実」に、私は呼ばれたのだ。その美しい姿を観せるために、或いは何処かへ蒔いてもらうために・・・。そうではなくて、「暇つぶし」に呼んでくれたら、それが一番嬉しいだろう。