気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

古い友人

2015-03-27 14:57:27 | 
 古い友人がなくなった。その人とは20年くらい前に、もっと古い友人を通して知り合った。時々お宅に招かれ、手作りの料理と美酒でもてなされた。いつも穏やかな笑みを浮かべているその人は、歳は一回りほど上だが、決して偉ぶることはなく友人として付き合ってくれた。素晴らしい人生の先輩だった。

 偲ぶ会でお宅を訪ねたとき、彼が最愛のパートナーと二人のお嬢さんと一緒に素敵な時間を共有し生きて来られたことを、部屋の空気から感じとることができた。私の胸の中にも、彼らとこの空間で過ごした幾つかの場面が、そのやわらかい空気感と一緒に刻まれている。

 2年ほど前にガンの手術をされてからは、一度も会っていない。良くなったら会えると勝手に思っていた…
なくなる2週間前に不自由なからだで、私のフェイスブックの岩魚の写真に「いいね」を押してくれた…最後まで友達思いな人である。
 
 友人は誕生日の今日、姿を変えて宮古島へ行っている。家族と沖縄の友人の掌の中にいる。

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からだを以って想像する

2015-03-20 17:28:01 | 気気
 20年前の今日、私は中国大使館に用事があった。パスポートを持って大使館にビザを取得しに行く予定だった。9時過ぎに飯田橋にある職場に着くと、珍しく上司がいた(私が勤めた4年間で、上司が先に出社していたことは恐らくこのときだけである)。テレビを観ながら「行くのはちょっと待った方が良い」というようなことを言った。
 あの日もし朝一番に大使館に行っていたら、霞が関や六本木であの事件に出くわさなかったとは言えない。運が良かったのだろうか。しかし事件に遇ってしまった人は、運が悪かったでは済まされないほどの体験をしてしまった。わずか電車1本の差が、一生を変えるほどに。
 運よくそれを通過できた人は、まともにそれを受けた人の重みを想像することしかできない。言い方を変えれば、想像することはできる。想像することは、単にアタマの中の出来事ではなく、実際にからだに影響がある。多少なりとも、からだは「不快」になるだろう。その「不快さ」は体験者の万分の一に過ぎなくても、その人に同調しその人を理解する手段に成り得るかも知れない。
 異なった経験をした人を理解することは難しいが、からだを以って想像することで、少しでも相手の実情に近づけるのではと考えている。
 


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取りあえず「立つ」

2015-03-13 20:40:28 | 「立つ」健康法
 練習をする前に、「練習をやりたい」とココロから思う人はどれくらいいるだろうか。練習をやりたい気持になるのを待っていても、ならないかも知れない。練習は、たとえやりたいと思わなくてもやった方がいい。練習を終えた後にからだが整い、気持ち良くなるのであれば意味がある。
 これは「キチント立つ」練習についてのことだが、他の健康法でも同じであろう。

 「キチント立つ」ことは、練習なのだろうか。からだを整えることは本能である。誰に言われなくても、誰に見せるためでもなく、そうしたいからするという本能に依拠したものが本来の在り方だ。本能が現れないのは、そのようなからだの使い方(アタマを使い過ぎて、からだの声を聞かない)をしているからである。練習の前には分からなくても、終わった後にそれを感じることができれば、それでもいい。
 

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「気気・キチント立つ」のご感想 ~あおばさん

2015-03-07 10:04:41 | 「立つ」健康法
 からだに力が入っていれば自覚できるのが自然ですが、感覚の鈍い人は分からない。気気の会では、気気や「キチント立つ」練習を通して、からだの感覚を磨きます。自分のペースで無理なく実践されている「あおば」さんよりご感想を頂きましたので紹介します。あおばさんのように感受性を高めて、自分のからだと向き合って生活していくことが大事です(以下原文のまま)。

 
 体調や気分、心身の状態というのでしょうか。それが「立つ」ことでこんなに実感できることが驚きでした。私はもともと猫背で、姿勢が悪いことをよく人から注意されていましたが、加齢に伴い、ますます歳より老けて見えないためには姿勢をよくすることが大事なんだと思うようになりました。気気の会で、「コカンセツ」や「ミゾオチ」を緩めるとか、力を抜くなど、最初の頃は自分の体なのによく分かりませんでした。股関節や鳩尾が、ああこの辺りかと分かってきて体の感覚を意識するようになりました。難しいことではないのですけど、難しいというか奥が深く、身体感覚が目を覚ました感じです。力んだり、こわばっていることに少し以前より敏感になってきました。自分の体を自分で整えるって、こんな安上がりなことはありません。温泉もマッサージも大好き人間ですが、マイペースで人間の基本である「立つ」が正しくできれば、立ち居ふるまいや後ろ姿の美しい人になるのも夢ではないかもしれません(笑)正直、後ろ姿や背中を意識するなんてことは気気の会に入って初めて知りました。奥は深そうですが、気楽な気持ちで参加しています。


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