気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

ネガティブな思考に対して

2022-11-26 09:44:12 | 「立つ」健康法
 ネガティブにものを考えやすいというのは、性格によるものもあるのでしょうが、それよりも習慣のような「癖」になっているからだと思っています。性格は変わりませんが、「癖」ならば修正できます。
 よく「ポジティブに考えればいい」という人もいますが、そう簡単にできることではありません。そもそもポジティブな考えは本当に良いのでしょうか。そう考えたからといって、必ずしも結果が伴うわけではありませんし、そうならなかった時に、かえって失望が大きくなるということもあります。たしかにポジティブな方が行動が伴うという利点はあるでしょうが、私はそれを無理にやろうとすることに、不自然さを感じます。結局ネガティブもポジティブも相対的な考え方の枠内です。マイナスに対してプラスをするという方法ですから。私がおすすめしたいのは、「絶対的」な考え方(見方)をすることです。プラス・マイナスとは別の次元のことをします。それはものを比較することなく「一つに見る」ということ。もちろん我々凡人が完全にそれを実現することは容易ではありませんが、そこへ向かうことだけでも、身心は変わります。カラダやココロが変わるのならば、試してみるのも良いかと思います。なぜ変わるのかは分かりませんが、おそらくそれは人の中のどこかに、「ものを一つに見る」という内容(遺伝子・要素のようなもの)が、あるからではないかと思っています。
 
 ネガティブなことを考えやすい癖に対して、「ものを一つに見る」という「新たな癖」を導入すること。具体的には、キチンと立ちながら、「ものを一つに見る」イメージをしていきます。それによって、ネガティブなことが、出づらくなります。自然に、無理なくそうなります。ですから、ときどき(多ければ多いほど良いのでしょうが)、そういう練習をして「新たな癖」をつけ、自分を立て直すとよいと思うのです。

 関心のある方は、「理想の立ち方を身につける会」にご参加ください。

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予約なしでも大丈夫です

2022-11-18 07:50:03 | 「立つ」健康法
 「理想の立ち方を身につける会」を、毎月東京の国立市で開催(次回は2022年12月11日)しています。事前に予約をしていただくようになっていますが、心身の状態が不安定などの事情がある場合など、予約なしで、当日直接会場にお越しいただいても構いません。
 先にある予定に対して、「構え」てしまうことが私にもあります。その予定をキチンとこなそうとして、身心共に準備をして疲れてしまうのです。アタマでは「気楽に参加すればいい」とわかっていても、そうできないから問題なのです。こういう場合には無理をせずに、予約をしなければ(取り消せば)いいのです。そうしてしまった後に、もし自分の不甲斐なさを責めたくなる気持ちがあった場合には、「今は行動できる心身の状態ではないんだ」と考えたらよいのです。実際、カラダが変われば「動きたくなる」ものです。カラダが変わってもやりたくならないのであれば、それは自分の求めているものではないということなのです。身心が揃った(ニュートラルになった)ときに、自分の本当の「欲」がわかります。

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「愉気法」の前にあるもの

2022-11-12 09:38:04 | 野口整体
 野口整体には「愉気法」と「活元運動」という基本があります。それらは整体操法などの技術を学ぶ前に習えば良いのではなく、整体操法の技術の中に常に入っているものです。ですから「愉気法」が前提とされない整体操法はあり得ないということです。
 では「愉気法」と「活元運動」が一番最初の基本かというとそうではありません。野口整体の理念(=野口晴哉氏の思想)を理解することが、先にあります。生命・自然というからだを信頼して生きていくという思想です。ここでいう「理解」というのは、知識として覚えることではなく、思想を自分のものにして、自分の言葉で語れるようになることです。
 
 25年ほど前に野口整体を学び始めたとき、私は「愉気法」や「活元運動」よりも、具体的な技術「整体操法」を身につけたくて、指導者のところへ通いました。野口晴哉氏の書かれた本を読んでも、技術的なところだけをピックアップして覚えようとしていました。しかしそれは間違いでした。上述したように技術の前提になるのは「愉気法」や「活元運動」であり、その前には野口整体の思想があることがわかったからです。

 野口整体の思想といっても、思想自体はそんなに特殊なものではありません。たとえば臨済の「まず自分を信じること」や、老子の「何も為さないが為らないものはない」などの思想と共通しているところが多々あります。野口整体(野口晴哉氏)が特別なのは、それらの思想を身心の上に当てはめたことです。生活の中で実践するために作られたということです。

 「ちょっとカラダの調子が悪いから活元運動をしよう」あるいは「愉気をしてもらいたいな」というのも悪くありませんが、根本である野口晴哉氏の思想を失っては、事は成りません。
 

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自己流 気功「意守」の方法2

2022-11-03 16:02:41 | 「立つ」健康法
 前回の続きです。
 「命門」の次は「頸椎7番(首の一番下の大きい骨)」を意守(軽く集中)します。「頸椎7番」が大きすぎて意守しづらい人は「大椎(頸椎7番の下方)」を意守してもいいです。「命門」と「頸椎7番」を同時に意守すると、背中に芯が通ったような感じがします。命門だけでなくて、前回紹介した(丹田・湧泉)も同時に意守することができれば尚結構です。そうするとイメージ的には、丸イス(丹田・湧泉・命門のつながり)に「背もたれ(命門と頸椎7番のつながり)」が付いたような感じがします。
 次に「百会(ひゃくえ・頭頂部)」、「印堂(いんどう・眉間)」、「天突(てんとつ・左右の鎖骨の間)」と続きますが、この3つは、強く意守せず、ほんのり軽く意守します。それぞれを軽く意守したら、3つを同時に意守します。私(生徒たち)には経験がありませんが、本などによると、頸から頭にかけて無理に気を巡らそうとすると、「偏差(走火入魔)」という心身不調になることがあるといわれていますので、一応ご注意ください。
 次に「膻中(だんちゅう・両乳首の間)」。膻中に来ると温かさを感じます。先の3つがなんとなく宇宙的な冷たさがあるのに対して、膻中は大地というか土や草のような自然の温もりを感じます。
 最後に再び「丹田」に戻ります。丹田を意守したまま全身に意識を向けると、身心の状態が変わっていることに気がつきます。頭から足の裏までが、キチンとそろって(整って)いるのです。これが、練習の意味です。
 
 補足
 「丹田」というところは、意守しても手応えがないのですが、私はそれを肯定的に捉えています。丹田が人の感知できない不可知な場処であるならば、それは相対的な見方と絶対的な見方の両方が生まれ出る処であり、老子がいう「玄のまた玄」のような深い暗闇です。またそうであればこそ、万物あるいは「丹」という自家製の薬が生じる(自分で自分を整えることができる)のだと思うのです。

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