ネガティブにものを考えやすいというのは、性格によるものもあるのでしょうが、それよりも習慣のような「癖」になっているからだと思っています。性格は変わりませんが、「癖」ならば修正できます。
よく「ポジティブに考えればいい」という人もいますが、そう簡単にできることではありません。そもそもポジティブな考えは本当に良いのでしょうか。そう考えたからといって、必ずしも結果が伴うわけではありませんし、そうならなかった時に、かえって失望が大きくなるということもあります。たしかにポジティブな方が行動が伴うという利点はあるでしょうが、私はそれを無理にやろうとすることに、不自然さを感じます。結局ネガティブもポジティブも相対的な考え方の枠内です。マイナスに対してプラスをするという方法ですから。私がおすすめしたいのは、「絶対的」な考え方(見方)をすることです。プラス・マイナスとは別の次元のことをします。それはものを比較することなく「一つに見る」ということ。もちろん我々凡人が完全にそれを実現することは容易ではありませんが、そこへ向かうことだけでも、身心は変わります。カラダやココロが変わるのならば、試してみるのも良いかと思います。なぜ変わるのかは分かりませんが、おそらくそれは人の中のどこかに、「ものを一つに見る」という内容(遺伝子・要素のようなもの)が、あるからではないかと思っています。
ネガティブなことを考えやすい癖に対して、「ものを一つに見る」という「新たな癖」を導入すること。具体的には、キチンと立ちながら、「ものを一つに見る」イメージをしていきます。それによって、ネガティブなことが、出づらくなります。自然に、無理なくそうなります。ですから、ときどき(多ければ多いほど良いのでしょうが)、そういう練習をして「新たな癖」をつけ、自分を立て直すとよいと思うのです。
関心のある方は、「理想の立ち方を身につける会」にご参加ください。
よく「ポジティブに考えればいい」という人もいますが、そう簡単にできることではありません。そもそもポジティブな考えは本当に良いのでしょうか。そう考えたからといって、必ずしも結果が伴うわけではありませんし、そうならなかった時に、かえって失望が大きくなるということもあります。たしかにポジティブな方が行動が伴うという利点はあるでしょうが、私はそれを無理にやろうとすることに、不自然さを感じます。結局ネガティブもポジティブも相対的な考え方の枠内です。マイナスに対してプラスをするという方法ですから。私がおすすめしたいのは、「絶対的」な考え方(見方)をすることです。プラス・マイナスとは別の次元のことをします。それはものを比較することなく「一つに見る」ということ。もちろん我々凡人が完全にそれを実現することは容易ではありませんが、そこへ向かうことだけでも、身心は変わります。カラダやココロが変わるのならば、試してみるのも良いかと思います。なぜ変わるのかは分かりませんが、おそらくそれは人の中のどこかに、「ものを一つに見る」という内容(遺伝子・要素のようなもの)が、あるからではないかと思っています。
ネガティブなことを考えやすい癖に対して、「ものを一つに見る」という「新たな癖」を導入すること。具体的には、キチンと立ちながら、「ものを一つに見る」イメージをしていきます。それによって、ネガティブなことが、出づらくなります。自然に、無理なくそうなります。ですから、ときどき(多ければ多いほど良いのでしょうが)、そういう練習をして「新たな癖」をつけ、自分を立て直すとよいと思うのです。
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