気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

カラダで観る

2017-01-26 13:21:09 | 健康
物の観方は2つある。相対的な観方と、絶対的な観方。分けて観るか、一つに観るかということ。この二つは単独ではなく、同時に使われる。
我々凡人は、物事を比較・分別しない絶対的な観方をすることは難しい。そこで、「カラダ」という物の観方を採用してみてはどうだろう。物事を判断する時に「カラダ」に訊いてみる。
食事をする時に、本当に今食べたいのかどうか
寝る前に、本当に今寝たいのかどうか
本当にその仕事をしたいのか
本当にその人に会いたいのか
本当にその趣味が好きなのか

私たちは「アタマ」で生きていることが多い。時間が来れば食べて、寝る。仕事は給料他の条件で選ぶ。もちろん生活しなければならないのだから、やむを得ないこともあるだろう。しかしそれを差し引いても、「カラダ」の声には耳を傾けた方が良い。カラダはアタマよりも自分の事を良く知っている。
カラダとアタマの間にはいつもズレがある。アタマには理想や、不安や、劣等感などが反映される。

悟らなくても、カラダという基準で観るだけで、自分を取り戻すことができる。


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言葉の前にある世界

2017-01-20 15:36:26 | 
今朝山の中で、出あった光景


まだ暗い山道を歩いていると
右側から小さな「カサッ・カサッ」という音
鳥や虫が動いているのではない
雨ならば空気を切るが
からだには何も当たらない

立ち止まって音を眺めた
落ち葉が微かに動いている
直径5メートル
始めから終わりまで10秒にも満たない出来事

天から雪が降りて来て 
最初に枯葉にぶつかる音

正体不明の音を聴いて
言葉が見つかるまでの間
別世界に居た

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夜明けの太極拳

2017-01-12 13:39:25 | 太極拳
 年末に、フェイスブックにある動画を載せたら、ブログにも載せた方が良いと友人に言われたので、それに従うことにした。
 明け方に近くの山の尾根で太極拳をしたものだ。太極拳といっても競技用や実践などいろいろ種類があるから、そういう人達から見れば、私のそれは太極拳ではないかも知れない。私にとって太極拳は最終目標ではなく、からだのバランスを身に付けたり、確かめたりする手段である。完成には程遠いが仕方があるまい。
 十数年前のことを思いだした。某市のスポーツイベントで、太極拳を披露したことがある。それを見た人から「整体をしてほしい」と言われたことがあった。こういう太極拳をする人ならば(信じられる)と。当時の太極拳は現在よりもレベルの低いものだったが、それでも感じてくれた人がいた。たとえ本人にとって理想の太極拳でなかったとしても、誰かの気持に何らかの影響を与えることができるのであれば、嬉しいことである。

太極拳動画はここ

写真は尾根から新宿方面を望む(1月5日頃)

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朝焼けの前の山

2017-01-05 08:41:13 | 
 年末から5回ほど近くの山を登っている。朝5時過ぎに出ると、30分ほどで尾根に着く。ヘッドライトが壊れてしまったので懐中電灯を持参するようにしたが、これが幸いした。ヘッドライトがあると頼ってしまうが、無ければできるだけ使わずに済まそうとするからだ。山は夜だから暗いのではなく、木が闇を作っている。空は明るく、木々の間から差し込む。落ち葉が薄っすらと白く観えて、木の無い処が道になる。木の根に引っ掛からないように、足を少し高めに上げ、ゆっくりと下す。下り坂も地表の位置が掴みづらく、慎重になる。思考は続かず、意識は足の裏に戻る。一歩づつ、山を感じる。眼では味わえない山の質感である。
*写真は6時15分頃 中央部・雲の中に新宿ほかの高層ビル群が小さく観える。 


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